判官館(新冠町)

森林公園の芝生広場の東側頂上部に建つ石碑

源義経が流れ着いて居住したという伝説の館

所在地

北海道新冠郡新冠町字高江(判官館森林公園)

形状

館?

現状・遺構等

現状:森林公園(キャンプ場、広場他)
遺構等:石碑、空濠?、説明板

満足度

☆☆☆☆

訪城日

2008/10/19

歴史等

【判官館の由来】
梶原景時の奸計によって兄頼朝との戦いとなった弟義経は、ひそかに衣川をあとに海路蝦夷地を目指したという。
折りからの季節風に漂流すること数日、初めて見た蝦夷地は日高山脈の残雪であった。義経は、ふと、ひときわ目立つ岸壁に気を奪われていた。それは、衣川上流の断崖とそっくりであったからだ。
義経は、懐かしさのあまり上陸したが、空腹と安堵感からハマナスの砂丘に放心状態のまま倒れた。しばしの後、水と食物を持った一人のアイヌの娘が立っていた。以後、義経はこの娘と暮らすことになる。
義経は、この岩山を、自らの源九郎判官義経の名にちなんで「判官館」と名付けた。
義経は、奥州を出る時、一羽の鷹をつれていた。それは最愛の妻・静御前と連絡するための伝書鷹であった。静御前は、頼朝の人質となっていたため、伝書鷹のとりもつ連絡が頼朝の発覚するところとなり、もはや義経は、この判官館に住むことの危険を悟り何処ともなく姿を消した。
それはある海霧の深い朝であった。娘と離別を悲しむ二人の頭上には、哀愁を秘めた鷹の声がまっていた。
『現地説明板より』

現況・登城記・感想等

苫小牧・門別方面から浦河国道(国道235号線)を南下(正確には南東へ)し、新冠町へ入り、しばらく走ると「判官館 森林公園」の大きな案内板が見えてくる。案内板に従い右の方へ登って行くと広々とした公園へと出る。公園は芝生広場・多目的広場やキャンプ場等々になっている。
芝生広場の東側頂上部に「判官館」の立派な石碑を見つけた。頭の中が『判官館=ピポクチャシ』となっている私は、ここが「ピポクチャシ」でもあるものと決めてかかり、石碑の背後(東側)の「憩いの広場」の辺りを廻った。
先端の方へ行ってみると、空濠等の遺構は全くないものの、雰囲気があり、周囲も急崖になっており、ここが「ピポクチャシ跡」と思い込んでしまった。
帰ってきてから調べてみると、ピポクチャシは南西方向にある判官岬の辺りだったようだ(泣)。
そういうわけで、「ピポクチャシ登城記」の予定が、「伝説の館・判官館(はんがんだて)登城記」になってしまった。
尤も、広場の西の森の中に空濠跡のようなものを見付けたし、義経が居たというのは「眉唾」にしても、誰かの居館があったのでは?(負け惜しみ)。
(2008/10/19訪れて)

ギャラリー

公園案内図 ~クリックにて拡大画面に~
判官館絵図

判官館・森林公園への案内板
苫小牧・門別方面から浦河国道(国道235号線)を南下(正確には南東へ)し、新冠町へ入り、しばらく走ると「判官館 森林公園」の大きな案内板が見えてくる。
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公園広場(石碑の所から、右方面・多目的広場にかけて)
案内板に従い右の方へ登って行くと広々とした公園へと出る。公園は芝生広場になり、キャンプ場やアスレチックフィールド等々がある。。
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石碑の背後
「判官館」の石碑の背後へ廻り、先端の方へ行ってみると、空濠等の遺構は全くないものの、雰囲気があり、周囲も急崖になっており、ここが「ピポクチャシ跡」と思い込んでしまった。
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空濠?
広場の西の森の中に空濠跡のようなものを見付けたが、自然の地形なんだろうな!?
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【万里チャシ】
新冠町郷土資料館に寄ったら休館?だったが、その横に「万里チャシ」という説明板を見付けた。説明板によると、「明治から昭和にかけ、”旧新冠御料牧場”の広大な地域を張り巡らした牧柵を再現したもので、この牧場を設計にあたったエドウィン・ダンは横木を組み立て移動可能なアメリカで”ジグザク牧柵”と言っていたこの柵を選んだとされる。牧柵の作成には主にアイヌの人達がたずさわり、明治末期には柵の総延長が272kmにも及んだ。」とあった。
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