尾根を利用した土塁上まで延びる本丸空堀
伊達氏侵攻に備え河原田氏が築城、奥州仕置後に蒲生・上杉氏が入城・改修
所在地
福島県南会津郡南会津町字青柳字久川、小塩字下平
【アクセス】
久川城資料館の前(西)の丘陵が城跡。
久川城資料館:南会津町青柳字久川23
形状
山城
現状・遺構等
【現状】 山林(城址公園)
【遺構等】 曲輪、土塁、石垣、空堀、虎口、伝移築大手門(善導寺)、石碑、説明板
善導寺:南会津町古町字東居平73、電話0241-76-2570
満足度
★★★★★
訪城日
2008/10/01
2018/11/11
歴史等
戦国時代、会津伊南郷を所領していたのは河原田氏で、駒寄(こまよせ)城を本拠としていた。
久川城は天正17年(1588)、伊達政宗の会津侵攻に備えて、芦名義広方となっていた河原田盛次によって築かれたといわれる。「新編会津風土記」によれば、同19年(1890)に義広から城を堅固にするよう指示があったと記している。
秀吉による奥州仕置後、会津は蒲生氏郷の所領となり、蒲生郷可が配された。
さらに慶長3年(1598)の上杉景勝の入部に伴い伊南には清野長範が配された。
慶長6年(1601)には、会津は再度蒲生氏の所領となり、伊南・伊北1万石を蒲生忠衛門が支配し、久川城を改修して同7年(1602)に入城した。
忠衛門は同16年(1611)には久川城を去り若松城へ戻ったようで、城も廃されたとも云われるが、元和元年(1615)の一国一城令にて廃城になったとも云われる。
『「歴史読本 織田・豊臣の城を歩く(新人物往来社刊)」、「日本廃城総覧(新人物往来社刊)」、「現地説明板」より』
城郭の構造
久川城は伊南川と滝倉川に挟まれた比高76mの舌状丘陵上に築かれている。
本丸・二の丸・三の丸を中心に構成され、本丸の北には北曲輪、北出丸が配され、三の丸の南には大手口を守備する南曲輪が構えられた連郭式平山城である。
本丸の周囲は土塁で囲まれ、特に西側は一段高く自然の尾根を利用した土塁が聳えている。その土塁4隅には櫓台が構えられている。
そして、いずれの曲輪も土塁で囲まれ、曲輪間には空堀が設けられて区画されている。
城道は曲輪群の南東を通っているが、所々に枡形虎口や土塁による仕切りが構えられている。
大手は、南曲輪の麓に橋頭堡のように突出して構えられている方形の外枡形で、空堀と土塁によって囲まれた角馬出の原形のような構造になっている。
北の丸の麓にも同様の外枡形が構えられていたようで、搦手口と考えられるが、現在は消滅して残っていない。
(「歴史読本 織田・豊臣の城を歩く(新人物往来社刊)」、「日本廃城総覧(新人物往来社刊)」参照)
現況・登城記・感想等
蒲生氏が一時は支配した城だけに期待してはいたものの、ここまでとは想像だにしなかった。まさに『隠れた名城』である。
登城道は3箇所あるようで、南の方にある大手口へも行ってみたが、藪で登城口がよく分からなかったので、搦手口から青柳七曲坂を登城した。七曲坂は綺麗に整備されながらも、往時の面影が残る風雅な登城道であった。
登り切ったところに構えられた枡形虎口を入城すると北出丸、北曲輪へと出る。北曲輪はこの城で最も広い曲輪だそうで、奥(南)の方に本丸の高い土塁が見える。
本丸は周囲を土塁が囲み、東側に虎口が開いている。本丸の南北両側には空堀が掘られ、西側背後の尾根を利用した高い土塁上まで竪堀となって延びる光景は見応え満点で、いつまで眺めていても飽きないほどだ。
次に、曲輪群の南東を通る城道を二の丸、三の丸、南曲輪へと歩いて行くと、二の丸下と三の丸下の間は見事な食違い虎口があり、両曲輪間にも見応えのある空堀(竪堀)がある。三の丸下と南曲輪下の間には枡形虎口が構えられている。
南曲輪から、小塩七曲り登城坂へと降りる角には、石垣土塁があった。ここから小塩七曲り登城坂を降りて行くと大手枡形虎口へと出るが、残念ながら、湯西川温泉での待ち合わせ時間まで、時間が全く無くなってしまった。これでも、ナビの予定時間でいくと40分遅れだ。(前髪はともかく辛うじて残っている)後ろ髪をひかれる思いで城を後にした。
それにしても、見応え十分な素晴らしい城址であった。1時間ほどでの大急ぎでの登城であったが、2時間はかけてゆっくり廻りたい城址である。近い内に、必ず再登城しようと思う。
(2008/10/01登城して)
今日は長崎時代の仲間のN澤君・K島君・K田君との4人でのでの登城です。
「久川城」の最大の見どころは
①本丸をはじめとする、各曲輪背後に聳える、天然の尾根を利用して築かれた高低差20m以上はあろうかという大迫力の大土塁。
②本丸、二の丸、三の丸周囲の大規模な竪堀と横堀(竪堀にいたっては、20m以上もある背後の土塁の上まで延びています)。
の2つででしょう。
前回(2008/10/01)、家内と登城した際は、そのあとの予定があったので、各曲輪背後の大土塁の上まで登るのは断念しましたが、今回は比較的時間に余裕があったので、土塁上まで登ることが出来ました。
すると、想像通り、尾根(大土塁)の向こう側は深さ50m以上あろうかという断崖絶壁になっており、敵は、とても登って来ることは無理でしょう。
また、その痩せ尾根を利用した大土塁は見事に削られて幅2m弱の土塁になっていました。また、竪堀の最上部の土塁も掘られ、堀切にもなっています。
本当に、見事な大土塁と巨大竪堀で、いつまでも魅入っていたかったです。
福島県出身で、現在、福島市に住んでいるN澤君も、「福島県にこんな見事な城跡があるとは!!」と喜んでくれましたヨ。
(2018/11/11登城して)
ギャラリー
久川城縄張図(余湖くんのお城のページより)
城の東側を流れる伊南川越しに久川城の全景を(2018/11/11撮影)
搦手口脇に立つ大きな看板(久川城資料館駐車場から撮影)
搦手口の前には「久川城資料館」があり、20台ほど駐車できるが、搦手口の所にも2~3台ほど駐車できる。資料館は5月~10月の土日祝日のみ開館するようだが、どうやら見学は教育委員会へ問い合わせる必要があるようだ。
搦手登城口
ここに枡形虎口があったようだが、完全に消滅してしまっている。
登城道(青柳七曲坂)
搦手口から青柳七曲坂を登城した。七曲坂は綺麗に整備されながらも、往時の面影が残る風雅な登城道で、木漏れ日が何とも気持ち良かった。
北曲輪・北出丸への枡形虎口
青柳七曲坂を登り切ると、北曲輪・北出丸への枡形虎口へと出る。
北曲輪・北出丸への枡形虎口(北曲輪内から撮影)
北出丸
枡形虎口から城内へ入って、右(北)側には北出丸がある。周囲を土塁で囲まれていたようだ。
北曲輪
北出丸から南の方へ行くと、やたらと広い(この城で最も広い)北曲輪へと出、正面(南)に本丸の土塁が見えてくる。曲輪の真ん中に標柱が立ち、説明も書かれている。
本丸空堀(本丸北東の空堀と櫓台)
この空堀は、本丸虎口のやや北から、北東隅の櫓台を周り、北曲輪との間を西の尾根を利用した高い土塁上までず~っと延びている。この城址は見どころが一杯あるが、この空堀が最大の見どころではなかろうか? 実に綺麗な空堀で、私は、いつまで眺めていても飽きなかった。
本丸北東から西尾根へ延びる空堀
本丸虎口
本丸東側土塁中央部に虎口がある。
本丸と土塁
本丸は南北95m、東西50mあり、高さ4m~5mほどの土塁で方形状に周囲を囲まれている。北東部と南東部隅(写真奥のやや高い土塁の部分)に櫓台がある。
本丸と西側尾根
本丸の西側は、尾根を利用した土塁になっており、高さ10近くはあるのではなかろうか?
本丸・二の丸間の空堀
この空堀も、西側奥の尾根の上までず~っと続いていて見応え十分だ。
二の丸
二の丸も土塁で囲まれていたようで、一部土塁が残っている。
二の丸土壇
二の丸の南西隅は一段高くなっているが、何らかの建物があったのだろう。
二の丸東側壁塁の石垣
二の丸東側壁塁に石垣の一部を見つけたが、往時は結構石垣も積まれていたのであろうか?
二の丸下(東)からの眺望
この城址は木々で遮られてあまり眺望はよくないが、ここから南東方向は開けている。黄金色の田圃と伊南川、そしてその向こうに山並みの見える景色はなかなかのものだ。
二の丸・三の丸間の食違い虎口
三の丸下から二の丸下へは食違い虎口になっている。この城道の曲線が何とも云えずいいね。
二の丸・三の丸間の空堀
この西側尾根上まで続く空堀も見応え十分だ。
三の丸
三の丸は城道より、かなり高い所にある。
南曲輪から三の丸にかけて
左手前上が南曲輪で奥に三の丸。この城道には枡形虎口(右側)が残っている。この曲がりくねった城道と曲輪壁塁の光景も絵になる。
南曲輪下・三の丸下間の枡形虎口
上写真の右側と同じ。
南曲輪への大手道虎口
大手道の南曲輪への虎口には石積みが残っていた。写真右側の道(小塩七曲坂)を降りて行くと大手枡形虎口へと出るが、残念ながら時間切れ!!(今すぐ駐車場まで戻っても、ナビによると待ち合わせ時間まで40分遅れ。下城するしかないよねえ!)
【城背後の大土塁へ向かう】 (2018/11/11)
前回の登城時は、時間がなくて城(各曲輪)の背後に聳える、天然の尾根を利用して築かれた高低差20m以上はあろうかという大迫力の大土塁へは登るのを断念しましたが、遂に今回は登ることができました。
南曲輪南東側の空堀(竪堀)
南曲輪の南西側の空堀(竪堀)を登って各曲輪背後の尾根(大土塁)へ登って行きます。尚、南西の土塁(写真左側)の外側は絶壁です。
大土塁(尾根)の上
空堀(竪堀)を登って尾根(大土塁)の上に到着です。ここからは北へ向かって大土塁の上を進みます。
大土塁の外側は断崖絶壁
大土塁の上から外側を覗くと想像通り、見るからに断崖絶壁で敵方がここから登ってくるのは不可能でしょう。尚、大土塁内側下の曲輪も撮ろうと思ったのですが、鬱蒼と生えている木々が邪魔をして、写真では全く分からないので省略です。
大土塁上を北の方へ向かって進む
堀切と二の丸と三の丸間を断つ空堀(竪堀)
堀切