下総 多古陣屋(多古町)

多古第一小学校校門脇に残る陣屋石垣

会津初代藩主保科正之の養父正光が構築

別名

多胡陣屋

所在地

千葉県香取郡多古町多古2540(多古第一小学校)
多古第一小学校:電話:0479-76-2752

形状

陣屋

現状・遺構

現状:多古第一小学校
遺構等:土塁、石垣

満足度

★☆☆☆☆

訪城日

2008/10/23

歴史等

天正18年(1590)、徳川家康の関東入部にともない、その家臣保科正光(会津初代藩主正之の養父) が多古に1万石を与えられて入封したが、慶長5年(1600)、正光は旧領の信濃高遠へ転封となり、 以後しばらく藩は置かれなかった。
その後、慶長9年(1604)加賀野々市1万石の土方雄久が加増されて1万5千石を領有して立藩したが、次の雄重は元和8年(1622) に陸奥窪田へ転封となり再び廃藩となった。
正徳3年(1713)、旗本松平(久松)勝以は大坂定番に昇進した際、従来の下総・上総に加え、摂津において加増され、 合せて1万2千石を領有し、従来より多古にあった陣屋で再度立藩した。
その後は、8代に渡って在封し、明治を迎えた。
『「藩と城下町の事典(東京堂出版刊)」、「大名の日本地図・中嶋繁雄著(文春新書刊)」参照』

現況・登城記・感想等

多古陣屋跡は多古第一小学校となっているが、高台下から仰ぎ見る土塁が往時を思い起こさせてくれる。
また、高野前通りに面した校門脇と校庭には石垣が良好に残っている。
また、小学校の背後(横)は、支族の馬加氏に追われた当主千葉胤宣が逃れて、立て籠もった多古城址のようで、 山上へ登る雰囲気のある道があったが・・・?今回は時間がないので次回持越し。
多古は、この他にも志摩城跡等があり、歴史のある町にも関わらず、石碑や説明板どころか、標柱さえないのは寂しいかぎりだ。
(2008/10/23訪れて)

ギャラリー

土塁
高台下から仰ぎ見る土塁が往時を思い起こさせてくれる。

高野前通りに面した校門脇の石垣
上写真土塁からこの校門脇まで100m以上土塁が続き、ここには石垣が残っている。 この校門辺りが大手だろうか?

校庭に残る石垣
あまりにも立派な石垣で、しかも説明板さえないので、当時のものなのか心配になってくる。

多胡城への道??
小学校の背後(横)は、支族の馬加氏に追われた当主千葉胤宣が逃れて、立て籠もった多古城址のようで、 山上へ登る雰囲気のある道が・・・?今回は時間がないので次回持越し。尤も、この山が多古城址かどうかは登ってないので定かではないが・・・ 。

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