大和 田原本陣屋(奈良県田原本町)

賤ケ岳七本槍の一人・平野長泰を祖とする藩の陣屋

所在地

奈良県磯城郡田原本町890-1田原本町役場他
田原本町役場:TEL0744-32-2901

形状

陣屋

現状

現状:田原本町役場
遺構等:説明板

満足度(10点満点)

0点

訪城日

2008/02/04

歴史等

豊臣秀吉の家臣で天正11年(1583)4月の賤ケ岳合戦の時に、「七本槍」の一人として活躍した平野長泰は、文禄4年(1595) 大和国十市郡内7ケ村において5千石を与えられた。
慶長5年(1600)の関ヶ原合戦では東軍に属して活躍、寛永5年(1628)70歳で没した。
その遺領を継いだ嫡男長勝は十市郡薬王寺村に仮陣屋を構えたが、寛永12年(1635)に田原本に陣屋を築造し、慶安元年(1648) に移った。
代々、交代寄合の旗本であったが、最後の領主長裕は、明治元年(1868)7月十市郡内においえ5千石を加増され、 諸侯に列し田原本藩が立藩した。しかし、わずか3年後の明治4年(1871)に廃藩置県を迎えた。
『藩と城下町の事典(東京堂出版刊)より』

現況・登城記・感想等

遺構は全く何も残っていない。
田原本陣屋跡には役場が建ち、そのやや高台の立地や、その東を流れる河岸が、往時ここに陣屋が建っていたことを僅かながらも納得? させてくれるのかも??
(2008/02/04登城して)

ギャラリー

陣屋跡の東を流れる川

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