武蔵 金鑚御嶽城(神川町)

東郭に造られた護摩壇跡

武蔵七党の一つ丹党安保氏の城、戦国期には後北条氏と武田氏の攻防戦が

所在地

埼玉県児玉郡神川町二ノ宮
(金鑽神社:神川町二ノ宮750、TEL0495-77-4537)の裏山

形状

山城(標高343m)

現状・遺構等

現状:山林
遺構等:曲輪、土塁、堀切、標柱

満足度

★★☆☆☆

訪城日

2008/01/17

歴史等

金鑚御嶽城(かなさなみたけじょう)は文明12年(1480) に武蔵七党の一つで鎌倉時代後期に神川町阿保を本拠にして埼玉県西北部で勢力をふるった丹党安保氏(あぼし) の末裔安保吉兼が築城したと伝える。
当城は上武国境の境目の城として16世紀後半には激しい争奪戦が行われている。
記録される最初の合戦は、天文21年(1552)1~3月に、北条氏康が関東管領上杉方の安保泰広の守る御嶽城を攻め、 金鑚一帯を焼き討ちし、攻略した。
その後、この城は北に上杉謙信、西に武田信玄と接する戦略上重要な地域にある城郭としての役割を重視し、整備された。
永禄12年(1569)6月5日、信玄が御嶽城を乗っ取り、普請を行い、数千人の兵を在城させ、埼玉県最初で最後の信玄ゆかりの城となった。 しかし、9月9日には再び信玄が御嶽城を攻めているので、後北条氏と武田氏の御嶽城の攻防戦は激しいものであったのであろう。
『中世武蔵人物列伝・埼玉県立歴史資料館Ⅱ編(さきたま出版会刊)より』

現況・登城記・感想等

御嶽城址は金鑚神社の裏山の御嶽山山頂の本郭を中心に東西南北と東北の5方向に伸びた尾根上に郭を置き、 尾根を堀切で断ち切って築かれた放射状連郭式山城のようである。
「中世武蔵人物列伝・埼玉県立歴史資料館Ⅱ編」によると、「本郭北には当城最大の2の郭が置かれ、その下の崖部に大堀切と腰郭があり、 また北東部に伸びる尾根には2の郭虎口からの通路が見られ、露出する岩盤を利用した切り落としや堀切が配置されている」と記されているが、 東尾根以外は藪と台風による土砂崩れなどで入って行くのは難しい状況のようなので今回は諦めた。
城へは、重要文化財の多宝塔で有名な金鑚神社の拝殿脇から、歌碑が両側に立ち並ぶ階段を登っていくと、10分少々で鏡岩の前へ出る。
ここから急な階段を登ると、すぐに尾根上の分岐点へと出る。
そこを右(西)の山道を登って行くと本郭で、左(東)へ行くと、石仏が並ぶ東郭に出る。その東郭の奥には、岩山があり、「弁慶穴」 と呼ばれる穴がある。岩の頂上は修験者が祈祷を行った護摩壇跡だという。当然、物見台としても使用されていたであろう。
そこからの眺望は素晴らしい。そして、振り返って見る目の前の山頂が御嶽城本郭である。
分岐点から、本郭へは尾根道を行く。堀切が2つ確認できるが、どちらも土で埋ってかなり浅くなっている。2つ目の堀切を渡ると、 すぐ上が本郭であるが、この崖が強烈でロープが繋がれていた。
分岐点から本郭へは10分程度で着く。本郭は3角形で、物見台程度の狭い郭である。
ここから先へも行こうと思ったが、藪と台風による土砂崩れから行くのは難しい状況のようなので、今回は諦めた。いつか機会があれば、 再チャレンジしたいと思う。
(2008/01/17登城して)

ギャラリー

多宝塔
まずは、重要文化財の多宝塔を見てから登城。
この多宝塔は3間4面のこけら葺き、宝塔(円筒形の塔身)に腰屋根が付けられた塔婆である。天保3年(1534) に安保全隆が寄進したものである。(説明板より)

㊧金鑚拝殿、 ㊨拝殿脇の登城道
金鑚神社は、旧官幣中社で、昔は二の宮とも称された。鎌倉時代には、 武蔵七党の尊信が厚く近郷の総鎮守として祀られていた。この神社には本殿が置かれず、旧官・国幣社の中で本殿がないのは、他には大神神社 (奈良県)と諏訪神社(長野県)だけである。(説明板より)
拝殿脇から、歌碑が両側に立ち並ぶ階段を登っていくと、10分少々で鏡岩の前へ出る。
 

鏡岩
鏡岩の岩面の大きさは、高さ約4m、幅約9mで赤褐色に光っている。 鏡岩が敵の目標となることから城の防備の為松明でいぶしたので赤褐色になったとか、 高崎城が落城した時には火災の炎が映ったとかの伝説がある。(説明板より)

㊧鏡岩の所から尾根への坂道、 ㊨石仏が並ぶ東郭
鏡岩の所から、急な階段を登ると、すぐに尾根上の分岐点へと出る。そこを左(東)へ行くと、 石仏が並ぶ東郭に出る。
 

㊧弁慶穴、 ㊨弁慶穴から岩山への崖道
東郭の奥には、岩山があり、「弁慶穴」と呼ばれる穴がある。 そこからは左側が強烈な崖になった道を登っていった。かなり危険な道であったが、登ってみたら、別の道があったことに気が付いた。
 

護摩壇跡
岩山の頂上は、修験者が祈祷を行った護摩壇跡だという。当然、物見台としても使用されていたであろう。 岩の上に登ってみたが、足が震えるようだった。高所恐怖症の人は無理だろうと思う。

護摩壇跡からの眺望(㊧本庄市方面、 ㊨秩父方面)
護摩壇跡からの眺望は本当に素晴らしく、赤城山も見える。
 

本郭の山(岩山から撮影)
振り返って見る目の前の山頂が御嶽城本郭である。

尾根上分岐点から本郭への登城道
右の道が、本郭方面への登城道で、左はあやめ池経由で金鑚神社で降りる道である。

最初に出会う堀切
この堀切は、かなり土に埋っており、うっかりすると気が付かないかもしれない。

次に出会う(本郭手前の)堀切
 

本郭への急坂
2つ目の堀切を渡ると、すぐ上が本郭であるが、この崖は強烈でロープが繋がれていた。 ロープが付いていなかったら登れなかったかもしれないほどの急坂である。

本郭
本郭は3角形で、物見台程度の狭い郭である。

本郭から2の郭への藪道
ここから先へも行こうと思ったが、藪と台風による土砂崩れから行くのは難しい状況のようなので、 今回は諦めた。いつか機会があれば、再チャレンジしたいと思う。
 

トップページへ このページの先頭へ

コメント

けいすけ(2008/01/24)

はじめまして。
私も城に興味があり、いろいろウェブを検索していたら、このページに辿り着きました。たくさんの城を巡られていて羨ましいです。また、デザインも非常に格好良いですね。内容も充実で勉強になります。

勝手ながら、私のページからリンクをさせて頂きましたので、ご報告を兼ねて、コメントを投稿させていただきました。

タクジロー(2008/01/24)

けいすけ様
大変うれしいコメントを戴きありがとうございます。
また、リンクして戴きありがとうございました。
私もリンクさせて戴きましたので、ご承諾お願いします。
けいすけさんのホームページも写真が一杯綺麗に撮られていて素晴らしいですね。
また、これからもいろいろ教えて下さい。

梅子(2008/06/18)

はじめまして。
ネットサーフィンしておりましたら、こちらにたどり着きました。
生まれも育ちも現在も神川っこなのに、御嶽山が城跡だなんて知りませんでした。
雉ヶ岡城もわが母校(?)です。
こんな田舎に来てくださった事が嬉しくて思わずコメントしてしまいました。
HPじっくり拝見させていただきます。

タクジロー(2008/06/19)

梅子さま
コメントを戴きありがとうございます。
雉ヶ岡城は、遺構もよく残り見応えがありました。ここの学校出身なんてうらやましいです。
金鑚御嶽城は、まだまだ奥深い城址のようです。機会があれば、行けなかった場所へも行きたいものです。

この記事へのコメント

名前

メールアドレス

URL

コメント