城跡の船岡山公園内に祀られた建勲神社
平安京建設の際の都市計画の基軸、応仁の乱の時の西軍山名宗全方の本拠
別名
船崗山城、山名城
所在地
京都市北区紫野船岡町、船岡山公園
形状
平山城(標高111.89m)
現状・遺構等
現状:船岡山公園(建勲神社等)
遺構等:土塁、空堀、説明板
満足度
★☆☆☆☆
訪城日
1995/11/03
2008/02/03
歴史等
船岡山は平安京建設のさい、都を守る四神のうち北方の守護・玄武に見立てられ、都市計画の基軸とされたことで知られ、平安時代には、
数々の祭祀が行われ、遊宴の岡でもあった。
しかし、中世後期には、戦略の要地として、この岡をめぐる攻防戦があった。
その一は、応仁の乱の時、西軍の大内政弘・山名教之らがここに布陣して、城郭が築かれた。西軍・東軍攻防の末、応仁2年(1468)
9月には、細川勢が総攻撃を加え、守将山名教之の家臣小鴨安芸守等は討死、落城した。
第二は、戦国時代、足利将軍家と細川家の内紛に際してである。永正8年(1511)8月、
いったん丹波に逃れていた将軍義尹が細川高国らと細川澄元・政賢が守るこの城を攻撃し、京都を奪回した。
『現地説明板他より』
現況・登城記・感想等
船岡山が城跡などとは全く知らず、平安京建設の際の基点とされたということで出掛けた。従って、空堀や土塁も全く気が付かなかった。
山頂部は公園になっていて見晴らしが良かった。また何故か、織田信長を祀った建勲神社があるのも不思議な感じがした。
(1995/11/03訪れて)
前回船岡山へ登ったのは、12年以上前である。
大徳寺から金閣寺へ向かう途中に久し振りに寄ってみた。今回は、長崎時代の仲間数人と一緒であったが、昨夜のアルコールが抜けないY輔君は、
こんな低い丘を登るのもきつそうだった。
前回、気がつかなかった北側の中腹を走る横堀にも気がついた。堀がこんなにきれいに残っているとは思わなかったので嬉しかった。
(2008/02/03登城して)
ギャラリー
船岡山の北側の中腹を走る横堀
応仁永正戦跡舟岡山の石碑と説明板(於船岡山東麓)