徳川氏発祥の地
所在地
群馬県太田市(旧尾島町)徳川町
形状
館
現状・遺構
現状:満徳寺、宅地、田園、徳川東照宮他
遺構等:石柱、説明(かるた)板
満足度(10点満点)
0点
訪城日
2008/02/28
歴史等
江戸幕府の将軍家徳川氏の先祖は尾島町にはじまると云われる。新田義重の子の義季は世良田周辺地域を領地とし、得川(徳川)
を称して居館を築いた。
義季から8代目の親氏が各地を流浪したすえ、三河国松平郷(豊田市松平町)の豪族の女婿になり、その9代目が徳川家康である。
『現地説明(尾島かるた)板等参照』
現況・登城記・感想等
徳川氏は、時宗の遊行僧・徳阿弥が諸国を流浪中、「東国」から三河の大浜、そして松平郷に入り、土豪在原信重(信盛の子)の婿となり、
松平親氏を名乗り松平城を本拠としたのが始まりといわれている。
そして、その「東国」というのが、ここ尾島町ということである。
出身地はともかく、徳川家の祖が新田氏だというのは「まゆつば」とは思うが、一応、ここが徳川氏発祥の地ということで、訪れてみた。
永徳寺入口に「徳川氏発祥の地」と書かれた大きな看板がある。徳川館跡は、道路を挟んで反対側に縁切寺満徳寺資料館の駐車場があるが、
その北100mほどの所にある。満徳寺資料館のすぐ裏(北)になる。
館跡には小さな徳川東照宮が鎮座している。徳川東照宮と言うからには、もっと大きなのを想像していたので拍子抜けした。神社裏(北)は、
だだっ広い田園地帯で、遠くに赤城山が見える。
(2008/02/28訪れて)
ギャラリー
「徳川氏発祥の地」の看板
尾島かるた
徳川東照宮の手前に、「尾島かるた」という徳川発祥の地についての説明板が設置されている。
東照宮の裏(北)
実にだだっ広い田園で、遠くには赤城山が見える。関東平野の広さを実感する。