城跡に「国重要文化財・服部家住宅」が建つ
所在地
愛知県弥富市荷之上字石仏419(服部家住宅:国重要文化財)
形状
平城
現状・遺構
現状;服部家住宅
遺構等:水堀、説明板
満足度(10点満点)
2点
訪城日
2008/09/23
歴史等
荷之上城は、築城年代や築城者等については定かではない。
鯏浦城
(うぐいうらじょう)の城守織田信興(織田信長の弟)は、元亀元年(1570)、小木江城(立田村)で服部党ら門徒勢に攻められて戦死した。
これを機に、信長は服部党ら門徒勢を攻め、3度目の天正2年(1574)には大軍を送り込んで、ことごとく焼き尽くした。
天正4年(1576)、服部弥右衛門尉正友は、荷之上城跡に居を構え、この地の干拓に尽力し、荷之上村を再興した。
以後江戸時代には代々大庄屋を務めた。
現在は国重要文化財として服部家住宅が残る。屋敷地は、東西約50m、南北約60mあり、南面東寄りに表門を開き、
この両脇から土塀が東西に伸びている。もとは側背面に堀がめぐらせてあったが、現在は背面にその一部を残すのみとなっている。
『現地説明板他より』
現況・登城記・感想等
荷之上城跡に建つ「服部家住宅」は、主屋のほか表門、離れ屋敷、文庫蔵などが国の重要文化財に指定されている。何と、主屋は天正4年
(1576)に建てられたものだという。
服部家は現在も人が住んでいるが、予約をすれば見学ができるようだ(問い合わせ先:弥富市歴史民俗資料館0567-65-4355)。
今日は、早朝でもあり、予約もしていないので、屋敷の周りを廻って見ただけだったが、
表門の長屋門とその両脇に伸びる土塀はなかなか見応えがある。
また、屋敷背後(北側)にわずかに残る水堀跡と黒板塀とのコラボもなかなか趣きがある。
(2008/09/23訪れて)
ギャラリー
表門(長屋門)
屋敷背後に僅かに残る水堀