木曽氏一族千村氏の陣屋
所在地
岐阜県可児市久々利字東屋敷1644-1、可児郷土歴史館一帯
可児郷土歴史館:可児市久々利1644-1、電話0754-64-0211
形状
陣屋
現状・遺構
現状:可児郷土歴史館、久々利保育園、国保久々利診療所等々
遺構等;石垣、標柱、説明板
満足度(10点満点)
1点
訪城日
2008/09/24
歴史等
千村良重は、木曽氏の一族で、はじめ木曾義昌、その没後は木曾義利に仕えたが、義利が不行跡により改易されると浪人した。
慶長5年(1600)、徳川家康が上杉景勝征伐の軍を起こし、小山に陣した時、召されてはじめて家康に拝謁した。
関ヶ原の戦いでは東軍に属し、かつて木曾氏に仕えていたことから詳しかった中山道の先導役を務め、岩村城攻めで武功を挙げた。
この功績により、慶長8年(1603)久々利に所領を与えられ、久々利城山麓に陣屋(千村陣屋)
を構えた。
元和5年(1619)良重は、尾張徳川義直に付けられ、久々利衆(在地領主)として尾張徳川家内でも特別な家格であった。
子孫は代々尾張藩に仕え明治を迎えている。
『歴史と旅・日本城郭総覧(秋田書店刊)他より』
現況・登城記・感想等
千村陣屋跡には、可児郷土歴史館、久々利保育園、国保久々利診療所等々が建つ。
国保久々利診療所の西側に残る石垣のところには、「千村氏屋敷跡」の標柱と、ほとんど消えかかった縄張図付きの説明板が設置されている。
その前の道は「城山通り」と名付けられているらしく、その標柱も同じところに設置されている。
石垣は、他にも何箇所か残っているが、郷土歴史館の裏(南)の道沿いと南東部の石垣が最も良好に残っている。
この石垣(道)に沿って、南側には久々利川も流れている。当時は水堀の役目もしたのだろう。
(2008/09/24訪れて)
ギャラリー
国保久々利診療所西側に残る石垣
この石垣のところには、「千村氏屋敷跡」の標柱(中央)と、ほとんど消えかかった縄張図付きの説明板
(右上垣根の中)が設置されている。その前の道は「城山通り」と名付けられているらしく、その標柱も同じところに設置されている。
郷土歴史館南東部の石垣
この辺りの石垣は、積み直しているかもしれないが、非常に良好に残っている。
久々利川
陣屋跡の南側には久々利川も流れている。当時は水堀の役目もしたのだろう。