本丸北西部の堀
伊豆の豪族大見氏の末裔安田氏の居城、後に安田藩堀氏の居城に
所在地
阿賀野市保田(市立安田図書館の東隣の公園)
市立安田図書館:保田4807-1 電話0250-68-3006
形状
平城
現状・遺構等
現状:児童公園
遺構等:曲輪、土塁、水堀、説明板
満足度(10点満点)
4点
訪城日
2009/05/24
歴史等
中世の安田町周辺は白河庄と呼ばれる荘園で摂関家の領地であった。
鎌倉幕府が創設されると、源頼朝挙兵に参陣して功績のあった関東御家人伊豆の大見氏が地頭職として着任し、のちに安田氏を名乗った。
安田氏は安田城を拠点地に守護上杉氏や上杉謙信に仕え、数々の戦功をたてた。
慶長3年(1598)上杉景勝の会津若松城移封で安田氏も同行し、
村上城主村上義明の重臣吉竹右近が在番した。
元和4年(1618)、村上氏改易により村上城主となった堀直竒(なおより)の支配となったが、元和元年(1615)の一国一城令のもとに、
同8年(1622)安田城は破却された。
寛永16年(1639)直竒は63歳で没し、その遺言により次男直時が3万石を分与され、安田に居城を構えて立藩した。
正保元年(1644)、直時の子直吉が領地替えで村松城へ移り、安田城は廃された。
『「歴史と旅・日本城郭総覧(秋田書店刊)」、「藩と城下町の事典(東京堂出版刊)」、「現地説明板」参照』
現況・登城記・感想等
本丸跡は、児童遊園などになり、二の丸跡は、町の体育館、野球場や図書館、公民館等々総合センターとなっている。
本丸跡は、かつては(今も?)交通公園にもなっていたようで、公園内に信号機や横断歩道などがあったりして一瞬驚いた。
しかし、本丸の方形(約90m×約70m)の形はよく残っている。中でも、本丸周囲をめぐる幅20m前後の水堀は良好に残り、あやめ(菖蒲?
、カキツバタ?)などが咲いていてなかなか風情がある。
また、一部(公園南西部)には櫓台状の土塁も確認できる。
この辺りは、今でも水が豊富なようで、城址北側には天井川の水が溢れんばかりに流れ、その向こうには広大な田んぼが広がっていた。
(2009/05/24登城して)
ギャラリー
本丸跡は交通公園?
最初、公園内に入り、この教習所のような光景を見た時は、とまどったが、「なるほど、グッドアイデアだ!?」
と納得した。写真奥には信号機も。
土塁
本丸南西部には櫓台のような土塁が一部残っている。
本丸南の水堀
この辺りが最も広く、幅20m以上はあるだろう。
本丸南西部の水堀