伊勢 西坂部城(四日市市)

 三の丸に残る土塁

鎌倉時代の「三日平氏の乱」で蜂起した萩原小太郎の城

所在地

四日市市三重2丁目、城山公園
三重西小学校の西にある「三重城山緑地」が城跡。公園南西側に登城口がある。駐車場はなく、道路隅(広くて、交通量極めて少ない)に置いた。
三重西小学校:三重三丁目129番地 電話059-333-0269

形状

平山城(標高78.6m)

現状・遺構等

現状:城山公園
遺構等:曲輪、土塁、石碑、説明板

満足度

★★☆☆☆

歴史等

西坂部(にしさかべ)城は、鎌倉時代の元久元年(1204)の「★三日平氏の乱」において若菜五郎とともに蜂起し、 鎌倉幕府軍の平賀朝雅により鎮圧され、滅亡した萩原小太郎が拠点とした城である。
室町時代に朝明郡の中野城(現四日市市中野町)に拠った赤堀藤太郎が、その前にここを居城としたとも伝えられる。
城域は南北に、北の丸、本丸、二の丸、三の丸と名付け得る小区域があり、それぞれに土塁がめぐらされていたと思われる。
『現地二の丸跡説明板参照』

★三日平氏の乱
三日平氏の乱は、鎌倉時代初期、伊勢国と伊賀国で平家の残党が蜂起した事件。
建仁3年(1203)12月に伊勢平氏の若菜五郎が蜂起し、討伐に向かった鎌倉幕府軍の平賀朝雅が、元久元年(1204) 4月10日から12日の間に反乱軍を鎮圧した事から「三日平氏の乱」と称された。

現況・登城記・感想等

四日市市郊外の新興住宅地の真ん中の小山が西坂部城址で、今は小奇麗な公園になっている。
小学校(約50年前)の頃、遠足で来たのを思い出す。その頃は、廻りは田んぼしかなかったような・・・(笑)。
最高所に本丸、その北側に腰曲輪のような北の丸がある。南西下には二の丸、三の丸があり、土塁が割合良好に残っている。
比高30~40mほどの、それほど高い山ではないが、本丸からの見晴らしは結構良い。
(2009/05/12訪れて)

ギャラリー

公園案内図(現地案内板より)

登城口
登城口は、城山公園の南西にあるが駐車場はない。前の道は広く、交通量も極めて少ないので、その隅に停めた (汗)。

㊧三の丸、㊨三の丸南側に残る土塁
登城口から階段を登ると三の丸へ出る。左(南)側の柵の外側に土塁が割合良好に残っている。
 

三の丸から二の丸、本丸方面を
手前の平場が三の丸、坂道を上がった所が二の丸、その左上が本丸

二の丸
二の丸の南側(写真奥)にも土塁が残っており、やはり柵で保護されている。二の丸は、それほど広くなく、 本丸の北(反対)側と同様、腰曲輪といった方がよいかも。

本丸
本丸には児童用の遊具とともに石碑が設置されている。比高30~40mほどの小山であるが、 本丸からの見晴らしは割合良い。

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