三河 深溝城(幸田町)

築山に城址碑と説明板が

深溝松平氏発祥の城

所在地

愛知県額田郡幸田町深溝丸ノ内5、(株)三協幸田工場

形状

平山城

現状・遺構等

現状:、(株)三協幸田工場、宅地等
遺構等:土塁、石碑、説明板

満足度

★☆☆☆☆

訪城日

2009/05/07

歴史等

深溝(ふこうづ)城は、鎌倉時代末期(14世紀初め)に大庭氏が築いたと言われる。以後、約200年は大庭氏の居城であったが、 大永年間(1521~28)に松平忠定が大庭氏を討って入城した。
以後、2代好景、3代伊忠、4代家忠まで在城したが、天正18年(1590)徳川家康の関東移封に伴い、家忠も1万石で武蔵忍城 (行田市)へ移った。
5代忠利は関ヶ原合戦で功があり、旧領に戻り三河深溝藩1万石が成立したが、慶長17年(1612)3万石に加増され吉田城 (豊橋市)移ったため深溝藩は廃藩となった。
慶長19年(1614)、板倉重昌が深溝において1,230石を拝領し、家康の側近として活躍した。家康死去の頃には1万1, 800石の大名となり、寛永元年(1624)には陣屋を構えて深溝藩が復活した。
重昌は、寛永15年(1638)島原の乱で戦死し、長男重矩は中島藩(岡崎市中島町)に移り、 次男重直が8千石の旗本となり陣屋として明治に至った。
『現地説明板他参照』

現況・登城記・感想等

深溝城は、現在株式会社三協工作所の敷地となっていて、正門脇の道路沿いに築山が築かれ、石碑と案内板が設置されている。
また工場の駐車場奥に、土塁の一部が残っている。
(2009/05/07訪れて)

ギャラリー

石碑

土塁

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