尾張 大草城(知多市)

 本丸跡隅に建つ模擬櫓(展望台)

織田信長の弟・長益(有楽斎)が築城を始め、途中で断念した幻の城

所在地

愛知県知多市大草(大草公園) 地蔵寺のすぐ西に公園駐車場有り
地蔵寺:大草字東屋敷43-1 電話0569-42-1200

形状

平山城

現状・遺構等

現状:大草公園
遺構等:曲輪、土塁、水堀、横堀、模擬櫓(展望台)、説明板

満足度

★★★☆☆

訪城日

2009/05/13

歴史等

大草城は、織田信長の弟で、後に茶人としても名をげた源吾長益(有楽斎)が、築城しようとして途中で断念した”幻の城”である。
矢田川とその支流からなる大野谷(現知多市の南部と常滑市の北部地域)を拝領していた長益は、大草の地に城を築き始めた。
しかし、天正10年(1582)に本能寺の変で信長が暗殺され、長益も天正12年(1584)の長久手の合戦後、しばらく秀吉に仕え、 摂津国味舌(現大阪府三島郡三島町)に転封された。このため地形などの普請が大体終わったところで放棄され、廃城となり、 幻の城と呼ばれるようになった。
ともあれ、西は伊勢湾が迫り、南は矢田川、東は神田川が流れ、それぞれ外堀の役目を果たし、なかなかの要害の構えであった。
現在、大草城址は、本丸、二の丸と周囲の一塁、堀の大部分がほぼ完全な形で残っており、このような城址は、愛知県下でも数が少ない。
このように保存状態がよいのは、尾張藩の徳川義直、光友に仕えた重臣・山澄淡路守英龍が大草を給知され、寛文6年(1666) に城址の西南方に屋敷を構えるなど、歴代の支配者が保存に力を注いだためである。
市では、こうした歴史的価値をとどめる城址をさらに保存、広く市民にも憩いの場として開放するため、大草公園として整備、 本丸跡に天守閣を模した展望台を設置したり、二の丸跡に散歩道を設けている。 施設の保全と管理が行われている。   知多市
『現地展望台脇の説明板より』

現況・登城記・感想等

大草城は、現在、大草公園として整備され、散策コースが造られている。
大草城は、南から北へと本丸、二の丸、三の丸を配置し、本丸と二の丸の周囲を水堀で囲った梯郭式縄張である。
大草城は未完成に終わった城であるが、遺構がよく残り、本丸と二の丸を囲む水堀や、 本丸東側や二の丸周囲に残る高さ約4メートルほどある土塁は見応え充分だ。土塁の上も歩けるようになっている。
また、本丸・二の丸間の広い空堀(往時は水堀だったようだが)も、かなり埋まってしまい浅くなってはいるもののはっきり確認できる。
尚、本丸の一角に、二層の模擬天守(展望台)が建てられている。
(2009/05/13登城して)

ギャラリー

縄張略図(現地説明板より)
南から北へと本丸、二の丸、三の丸を配置し、本丸と二の丸の周囲を水堀で囲った梯郭式縄張である。

水堀
地蔵寺の西にある公園駐車場に車を置き、上図のから入城すると、いきなり水堀が現れる。

散策コース
城跡は大草公園として整備され、散策コースが造られている。柵の右側は水堀。正面奥右は二の丸土塁、 左側の土塁は本丸土塁。

③④二の丸土塁
二の丸の三方(北・東・西)を囲む土塁は、高さ4mほどはあり、土塁上は散策コースになっている。北西隅 (右写真奥)はかなり広くなっており櫓台であろう。
 

本丸北東部の土塁
本丸北東部から東側の土塁も高さ4mほどある。

本丸東側の土塁
本丸東側の土塁は一直線に約100mはあろう。ここは散策コースにはなっていないが、 土塁上を歩けそうだった。
 

本丸・二の丸間の堀跡
本丸・二の丸間は、かつては水堀だったようだが、今はかなり埋まってしまい、浅い空堀のようになっている。 写真右奥が二の丸。左側には本丸北側の土塁が残っている。

本丸
本丸は約100m四方ほどある広いものだ。西隅に模擬天守(展望台)が建てられている。

模擬櫓(展望台)からの眺望
展望台から西方向に伊勢湾がよく見える。靄がかかっていて眺望は今ひとつだったが、 多くの汽船が行き来するのが見えた。空気が澄んでいる時には鈴鹿山脈まで見えるのだろう。

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