田園地帯の真ん中に建つ城址碑と内藤清長五輪搭
三河一向一揆で主君・松平元康(家康)と離反し戦った内藤氏の居城
所在地
愛知県額田郡幸田町荻字城跡
【行き方】
国道248号「荻北信号」を東に入り、150m程東進した2本目の路地を左折。そこから50m程北上して右折すると右手に城址碑がある。
この辺り一帯が城跡である。
形状
平城
現状・遺構等
現状:水田
遺構等:石碑(裏側に説明文)、内藤清長五輪搭
満足度
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訪城日
2009/05/07
歴史等
荻城は、寛正の頃(1460年頃)、内藤氏が京都から三河に移り住み、この地に屋敷城を築いたと伝えられる。永禄7年(1564)
以来、明治38年(1905)まで居住した。
永禄6年(1563)、三河一向一揆が起こると、三河上野城主内藤弥次右エ門清長は熾烈なる信仰に燃えて一揆に与し、
主君松平元康(後の徳川家康)と戦ったが、戦い敗れ荻城に蟄居となり、永禄7年(1564)8月、この地で没したという。
『現地石碑裏説明文より』
現況・登城記・感想等
石碑裏に刻まれた説明によると、荻城は、明治38年(1905)
の耕地整理事業により残っていた堀や土塁は全く消滅してしまったという。
今は、水田に挟まれた農道脇に城石碑と内藤清長の五輪搭が立っているだけである。
(2009/05/07訪れて)