中世の北信濃の地方豪族竹内源内の居館と伝わる
別名
上野の館
所在地
長野県飯山市常盤(国道117号線常盤大橋の西の畔)
形状
台城
現状・遺構
現状:雑木林
遺構等:曲輪、土塁、空堀、説明板
満足度(10点満点)
1点
訪城日
2007/10/28
歴史等
大倉崎館は中世(鎌倉~室町時代)の豪族が居住した館である。
14~15世紀頃、当地には有力な豪族(武将)が居城していたと思われる。館主については、竹内源内という言い伝えもあるが、
今のところはっきりしたことは分かっていない。
館は、東を千曲川の断崖に接し、北・西・南を、幅10m、深さ5m以上の堀で囲んでいる。堀の長さは、北辺が34m、西辺が104m、
南辺が42mある。東側の断崖は、千曲川の水面からの高さが25mにも及び川底も深い天険の地である。
現在は国道117号線によって南北に2分されているが、土塁や堀などは現在でも良く残っており、当時の面影を今に伝えている。
『現地説明板より』
現況・登城記・感想等
利根川沿いもそうだが、千曲川沿いには、この館のように河岸の断崖を利用した城が非常に多い。今思い浮かべることが出来るだけでも、
小諸城・上田城・飯山城・・・・・。
断崖による天険の地であると同時に、交通の便(舟便)が良いこともあるのだろう。この館の館主も、
越後からの塩や魚などの輸送に千曲川の舟便を大いに利用したことであろう。
さて大倉崎館であるが、館の規模は小さいが、14~15世紀の館跡にも関わらず空堀や土塁の跡がよく残っていた。
ただ、国道117号線で2分された南側は雑木林と雑草でとても中には入れそうにもない。少し整備したら良い公園になるんだろうけどなあ。
尤も、金が掛かるわりにはメリットは少ないかもね!
(2007/10/28)
ギャラリー
大倉崎館の図
館は、東を千曲川の断崖に接し、北・西・南を、幅10m、深さ5m以上の堀で囲んでいる。堀の長さは、
北辺が34m、西辺が104m、南辺が42mある。
空堀
14~15世紀の館跡にも関わらず空堀や土塁の跡がよく残っている。写真奥に曲輪跡があり、
表紙写真の東屋が建っていたが、人が訪れているような気配はなかった?
曲輪東側の断崖
東側の断崖は、千曲川の水面からの高さが25mにも及び川底も深い天険の地である。
国道により2分
写真奥の林が館跡。現在は国道117号線によって南北に2分されている。
もろに逆光で、しかも車が結構通り、写真を撮るのに苦労した。