信濃 鴨ケ嶽城(中野市)

二ノ郭

高梨氏館の詰の城

所在地

長野県中野市中野東山
【行き方】
高梨氏館から東に見える山の方へ登って行くと、土人形資料館(中野市中野1150)があり、その駐車場を拝借して登城する。

形状

山城(標高:688m、比高300m)

現状・遺構等

現状:山林(東山公園)
遺構等:曲輪、堀切、土塁、説明板

満足度

★★★☆☆

訪城日

2007/10/29

歴史等

鴨ケ嶽城は、戦国時代(1460頃から100年間)の初めの頃、高梨政盛が小館の居館(高梨氏館)とともに、 修築拡大したものとされている。
高梨氏は、平安時代末期に始まる頼季流信濃源氏の有力武士団で、鎌倉時代から室町時代にかけて北信地方で勢力を拡大し、 室町時代後期までには中野地方を完全に支配下に置いたとみられる。
『現地説明板、高梨氏館説明板より』

現況・登城記・感想等

本格的な山城を、久し振りに山麓からの登城である。
高梨氏館から東に見える山の方へ登って行くと、土人形資料館(中野市中野1150)があり、その駐車場を拝借して登城する。
最初、趣のある石畳の道を登って行くと、大悲閣観音堂へと出る。その懸崖造りの舞台が随分立派だ。その観音堂の裏を廻って登城口へと出る。
鴨ゲ嶽城への登城道は東山公園のハイキングコースとなり整備されているが、いきなり結構な急坂である。それが15分ほど続き展望台へと出る。 展望台からの眺望は素晴らしく、眼下には中野市の町並み、その向こうには黒姫山や妙高山などの北信5嶽の山並みが見える。
そこから更に、延々と続く急坂を登って行く。道の両側の紅葉がきれいで、その木々の間から下の方に町並みが見える。15分ほどで、 やっと城域へと出た。
本郭は最高所にあり、約8m×35mの長方形をしており、北側を堀切で断ち切られ、南側は一段高い土塁と深い堀切で防御されている。 その堀切の南側が2の郭で、鳥居が建ち、石で囲まれた井戸跡がある。2の郭からの両側(東西)の眺望もなかなか良い。
2の郭と3の郭との間にも堀切があるが、小規模なものである。3の郭の南北には土塁が残る。南側の土塁は結構大規模で、 さらにその南側は大規模な二重堀切で防御されている。
鴨ケ嶽城の登城は結構キツク、下城終わりころには膝が半分笑っていたが、心地よい疲れであった。 久し振りに山城らしい山城を満喫することが出来た。やっぱり山城は麓から歩いて登るべきですね。
(2007/10/29登城して)

ギャラリー

高梨氏館から鴨ケ嶽城を
高梨氏館から鴨ケ嶽城を

石畳の道を
最初、趣のある石畳の道を登って行くと大悲閣観音堂へ出る。

大悲閣観音堂(㊧如法寺弘法堂、㊨如法寺観音堂)
懸崖造りの舞台が随分立派だった。

登城口
観音堂の裏を廻って登城口へと出る。 鴨ゲ嶽城への登城道は東山公園のハイキングコースとなり整備されているが、いきなり結構な急坂である。

展望台
登城口から15分くらい登ってくると、展望台へ出る。展望台からの眺望は素晴らしく、 眼下には中野市の町並み、その向こうには黒姫山や妙高山などの北信5嶽の山並みが見える。往時は、物見台としても使われていたのだろうか。

眺望説明図(鴨ケ嶽城本郭説明板より)

展望台からの眺望         ~クリックにて拡大画面に~
左下に高梨氏館が見える。

再び、急な登城道を
更に、延々と続く急坂を登って行く。道の両側の紅葉がきれいで、その木々の間から下の方に町並みが見える。
 

最初に出会う堀切(本郭北側の堀切)
展望台から結構急な坂道をえんえん15分で、やっとここにたどり着いた。

本郭
本郭は最高所にあるが、約8m×35mの長方形で、かなり狭い感じがする。
北側を堀切(上写真)で断ち切られ、南側は一段高い土塁(写真奥)と深い堀切で防御されている。

本郭・2の郭間の堀切(2の郭から撮影)
この堀切は結構深い。堀底から1の郭まで10m近くあるのでは?

2の郭
鳥居が建ち、石で囲まれた井戸跡がある。2の郭からの両側(東西)の眺望もなかなか良い。

2の郭から西側の眺望

2の郭から東側の眺望

2の郭・3の郭間の堀切
この堀切は、あまり深くはないが、㊨のように竪堀に繋がっている。
 

3の郭北側の土塁

3の郭南側の土塁
この土塁は結構高く、この南側にある二重堀切とで厳重な防御がされている。

3の郭南側の二重堀切
この城址の最大の見所かもしれないが、規模はそれほど大きくなく、感動というほどではなかった!?

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