小笠原・武田・上杉氏の間で翻弄されたこの地の小領主青柳氏代々の居館
所在地
長野県東筑摩郡筑北村坂北青柳
形状
館
現状・遺構
現状:清長寺
遺構等:堀、土塁?、石碑、標柱、説明板
満足度(10点満点)
1点
訪城日
2007/10/28
歴史等
青柳館は代々青柳氏の居館であった。
清長寺は天正元年(1573)、青柳城主青柳伊勢守頼長が父・清長の菩提を弔うために創立した。後に、小笠原氏が青柳氏を滅亡させた後、
居館跡の現在地に寺を移して整備したといわている。
『筑北村切通し周辺史跡案内板より』
現況・登城記・感想等
清長寺の手前に、侍屋敷跡の碑があり、そこから詰の城・青柳城を仰ぎ見ると、
青柳城一の郭の西側の土塁上に立つ大木が印象的だ。
寺の横に水堀跡らしき池があり、寺の裏の墓地には土塁跡らしきものが。
青柳城へは車で山頂付近まで行けるが、歩いて登る場合は、このお寺から登る事になる。
また、町には江戸時代の宿場らしき雰囲気が残り、善光寺街道には青柳氏により切り開かれた切通しがある。
(2007/10/14登城して)
ギャラリー
侍屋敷跡の碑
清長寺(写真後ろの建物)の手前に、侍屋敷跡の碑があり、そこから詰の城・
青柳城を仰ぎ見ると、青柳城一の郭の西側の土塁上に立つ大木(写真奥上)が印象的だ。
石碑と標柱
堀跡?(寺の横には堀跡のような池が残っている。)
土塁跡?(寺の裏の墓地には土塁跡らしきものが?)
切通し
天正8年(1580)青柳頼長により切り開かれたもので、
江戸期に入ってさらに3度に亘って切り下げが行われた。これにより善光寺街道の通行が容易になった。現在の大きさは、長さ27m、幅3.
3m、高さ6mである。