山麓の蕃松院から城址を仰ぎ見る
田口氏により戦国時代に築かれた城、眼下に龍岡城がよく見える
所在地
長野県佐久市田口(蕃松院の裏山)
蕃松院:佐久市田口下町2893
形状
山城
現状・遺構等
現状:山林
遺構等:曲輪、堀切、空堀、石垣、土塁
満足度
?????(今のところ最悪)
訪城日
2007/10/14
歴史等
田口城は田口氏によって室町時代末期に築かれたと云われる。
天文年間(1532~55)に武田氏の佐久侵攻によって田口城も落城した。同17年(1548)、
上田原の戦いで武田氏が敗れた混乱に乗じて、田口長能は田口城の回復をはかったが失敗し、田口氏は滅亡し、
阿江木氏の流れを汲む依田能登守が入っていたが、天正10年(1582)武田氏滅亡直後、依田信蕃の攻撃を受けて落城し、
徳川氏のものとなった。
天正11年(1583)信蕃は、岩尾城を攻めたときに没した。
その子松平康国が小諸城主となるや、
父信蕃の追福供養を念じ、その居館跡に堂宇を再建し、父の戒名より寺号をとり蕃松院とした。
『蕃松院説明板他より』
現況・登城記・感想等
実は、この城については歴史的には知らなかった。いろんなサイトを見て、山頂から龍岡城の全体像がよく見えるとのことで行ってみようと思い立ち出掛けた。
いろんなサイトによると、悪路ではあるが車で山頂近くまで登れるとのことであった。当初は、蕃松院から歩いて登ろうと思っていたが、午後3:
30になってしまい、しかも秋の夕暮れである。また、山容を見ると30分は掛りそうである。暗くなっては危ないと思い車で登ることにした。
それが間違いの元であった。道幅が非常に狭く、車がすれ違い出来るような所もほとんど無かった。
おまけに道の両側はススキなどの草や木の枝でいっぱいである。それでも意を決して登って行ったら、
車体の両側でキーキーという枝や草の摺れる音がしっぱなし(汗)。それにもめげず登って行ったが、最後材木置き場の所に着くと、
ぬかるみがひどくスリップをし始めた(汗)。おまけにこの先はかなりの急坂である。そこに車を置き歩いて登ろうかとも思ったが、
駐車出来るような場所もない。この時間に車が来ることもないだろうとも思ったが、「もしも」ということもあり、ここで諦めて戻ることにした。
結局、成果は車体の両側のキズだけ(泣・怒・汗・・・)。
皆さん、この城は絶対に車で登ることはお薦めしません!!やはり、山城は麓からせっせと歩いて登るのが鉄則ですよね!!次回、
必ず歩いて登城(リベンジ)するぞ!!人間楽をしたらろくな事はない!!
反省するばかりの私でした。
(2007/10/14)