明智光秀の丹波攻めに協力的であった須知氏の城
別名
須知城(しゅうちじょう)
所在地
京都府船井郡京丹波町市森(玉雲寺:京丹波町市森滝見9の正面の山)
形状
山城
現状・遺構
現状:山林
遺構等:曲輪・石垣・土塁・竪堀・堀切
満足度(10点満点)
?
訪城日
2007/12/21
歴史等
市森城主の須知氏は鎌倉幕府倒幕の際、足利尊氏に従った。しかし、南北朝には南朝側に付き、北朝に攻められ一時没落したようであるが、
戦国期に入り、盛り返したようである。
織田信長の丹波攻略による明智光秀の丹波攻めの際には、早くから光秀に協力的で、須田元秀は八上城・
波多野氏についた義父・内藤備前守と戦かったが負傷して死亡した。その後、天正4年(1576)頃に城は明智氏のものであったようである。
天正初期に織田氏から離反して明智光秀に攻められ落城したようである。
現況・登城記・感想等
丹波には石垣等の遺構が良好に残る山城が多い。この市森城(いちもりじょう)も、その一つで、今回是非とも登城したい城であった。
周山城があまりにも素晴らしくて時間をかなり費やしたので、
目標地点の玉雲寺へと着いたのが午後2:00頃になってしまった。おまけに、城山が特定出来ずウロウロしてしまった。
すぐ近くの「琴滝」では、今夜から「冬ホタル鑑賞会」があるとのことで、ライトアップの準備をしていたので、その実行委員の方に尋ねると、
「よく分からないが、最近道が崩れて登れなくなったように聞いている。元々道も整備されていないし、お薦めしない。少なくとも、「琴滝」
の方からは登れなくなっている。」とのことであったが、取り敢えず城山だけは特定出来た。
そして、城山の周りを廻ったが登城口が分からず、そうこうしているうちに午後3:00になってしまった。当時前日であるし、
暗くなるのが不安だったので、今回は涙をのんで諦めた。
尚、市森城主須知出羽守慶吉により開山されたという玉雲寺は近世城郭の様な石垣の立派な寺であった。
(2007/12/21訪れて)
ギャラリー
市森城主須知慶吉が開山した玉雲寺
玉雲寺の正面に見える市森城全景