ノイシュヴァンシュタイン城(シュヴァンガウ)

マリエン橋から眺めるノイシュヴァンシュタイン城

ルートヴィヒ2世が17年の歳月と巨額をつぎ込んで造った白亜の城

ドイツ語名

Schloss Neuschwanstein

別名

白鳥城

所在地

バイエルン州シュヴァンガウ

訪城日

2010/09/15

歴史等

ノイシュヴァンシュタイン城の築城者は、かの有名な通称「お伽の国の王様」で知られたバイエルン王国ルートヴィヒ2世(1845~86) である。
美男子のルートヴィヒ2世は18歳で王位を継ぐが、当時の政情は若い王にとっては難題が多く、王は孤立する一方で、それは王を現実逃避、 即ち夢想の世界へと追いやった。
そこで、ワーグナーの楽劇に心酔すると共に、古代ゲルマンの伝説に熱狂した。そして、ワーグナーを庇護し、 彼の創作する楽劇の世界に酔いしれた。膨大な額の援助を彼に施し、彼の楽劇を「私たちの作品」と呼んだが、 狷介な性格のワーグナーはたとえ有力なパトロンであり国王であったとしても、作品に容喙することを許さなかった。
その為、ルートヴィヒ2世は、「私自身の作品」として自分の中世への憧れを具現化するロマンティックな城を造ろうと決意する。
このため城全体のグランドデザインを行うよう指名されたのは建築家ではなく、宮廷劇場の舞台装置・ 舞台美術を担当していた画家のクリスチャン・ヤンクであった。ドイツの城館に本来は必ずあるべき小聖堂や墓地がこの城にはなく、 ルートヴィヒ王の趣味のためだけに建設された実用には不向きな城である。
この城は1869年9月5日に建設が開始され、1886年には、なんとか居住できる程度には出来上がった。そして、これ以後、 ルートヴィヒ2世は首都ミュンヘンに戻らず、この城に住むようになるが、その期間はわずかに102日間で、王はベルク城に軟禁されてしまう。
ルートヴィヒ2世はこの城の他にも、リンダーホーフ城、ヘレンキームゼー城の建設を始め、 さらにはノイシュヴァンシュタインよりも高い岩山の上にさらに壮大なファルケンシュタイン城を建設する計画をたてていた。
これらの建設費用はプロイセン王国によるドイツ統一を支持した見返りとしてビスマルクから送られた資金などを中心に、 ほぼ王室費から支出され、バイエルン政府の国庫とは別会計ではあったものの、王室公債などを乱発して借金を積み重ねた。 プロイセンに対し普墺戦争の損害賠償を未だ抱えていたバイエルン政府はこれに危機感を募らせ、 ルートヴィヒ2世を形ばかりの精神病鑑定にかけ、統治不能としてベルク城に軟禁した。
そして、その翌日、王は主治医とシュタルンベルク湖畔を散歩中に謎の死を遂げる。
そしてルートヴィヒ2世が亡くなった1886年6月13日の時点でノイシュヴァンシュタイン城の工事は未完成部分を多く残したまま中止され、 その直後から城と内部は一般公開された。
『「現地購買ガイドブック(ロマンチック街道)」、「ウィキペディア」他より』

現況・登城記・感想等

ノイシュバンシュタイン城のある辺りは、もう既にスイスやオーストリアとの国境に近く、背後にはアルプスの山々が聳える。
ノイシュヴァンシュタイン城は、古城がやたらとあるドイツでも代表的な城で、ドイツ観光の名所となっている。
城へは、麓のホーエンシュヴァンガウの村から登ることができる。歩いて登ることも出来るが、 チケット売場の先にあるバス停からマリエン橋近くまで運行されているバス、もしくはバス停近くから出発する馬車(いずれも有料)を利用し、 終点から城まで歩く。
私は、バスを利用し、まずはマリエン橋へ向かった。バスの終点から2~3分ほどで、マリエン橋が見えてくるが、橋の上は物凄い人・人・人・・ ・・。
マリエン橋の上から見るノイシュヴァンシュタイン城は、白鳥城の名を持つにふさわしく、とにかく美しくて、しばらく魅入っていたいが、あまりの人で、 橋が落ちるんじゃないかと心配になるほどなので、暫く見たら城へと向かった(苦笑)。
何しろ、橋は峡谷の底から92mの高所に架橋されているのだ。
マリエン橋から城までは約10分。
途中、眼下に見えるホーエンシュヴァンガウ城と赤い屋根の家々、アルプ湖、そして背後にはアルプスの山並みという風景がこれまた素晴らしく、 しばらく魅入ってしまう。
城内では、何と言っても、「王座の間」と「歌人の間」であろう。どうやら建築よりも土木興味人間?の私は、普段は、 こういった部屋にはあまり興味を持つことはないが、この2つの部屋ばかりはさすがに見事で、魅入ってしまった。
また、城の窓から見える風景も素晴らしい。

ギャラリー

ノイシュバンシュタイン城(左)とホーエンシュヴァンガウ城(右)が見えてくる
ロマンティック街道を南下してくると、左に真っ白な「ノイシュバンシュタイン城」、右に黄色い 「ホーエンシュヴァンガウ城」が見えてくる。背後に見えるアルプスの山並みも素晴らしく、スイスのような景色だ(^-^)。
ノイシュヴァンシュタイン城とホーエンシュヴァンガウ城を望む

ホーエンシュヴァンガウ(バス停)
城へは、麓のホーエンシュヴァンガウの村から登ることができる。歩いて登ることも出来るが、 チケット売場の先にあるバス停からマリエン橋近くまで運行されているバス、もしくはバス停近くから出発する馬車(いずれも有料)を利用し、 終点から城まで歩く。

馬車で登ることも可能

村からホーエンシュヴァンガウ城を
ホーエンシュヴァンガウ城は村のすぐ上にあり、10分もあれば登ることが出来そうだったが、 何せパック旅行で時間がなく、泣く泣く登城を諦めた(^_^;)

㊧マリエン橋へ、㊨ノイシュバンシュタイン城から眺めるマリエン橋
私は、バスを利用し、まずはマリエン橋へ向かった。バスの終点から2~3分ほどで、 マリエン橋が見えてくるが、橋の上は物凄い人・人・人・・・・。マリエン橋の上から見るノイシュヴァンシュタイン城は白鳥城の名にふさわしく、とにかく美しくて しばらく魅入っていたいが、あまりの人で、橋が落ちるんじゃないかと心配になるほどなので、暫く見たら城へと向かった(苦笑)。何しろ、 橋は峡谷の底から92mの高所に架橋されているのだ。
 

マリエン橋の上から眺めるノイシュヴァンシュタイン城  ~クリックにて拡大画面に~
どうです? 見事な光景ですよね!? しかし、下を見ると結構怖い。

登城道からホーエンシュヴァンガウ城を見下ろす ~クリックにて拡大画面に~
登城道の途中に眼下に拡がる景色が素晴らしい所がある。ホーエンシュヴァンガウ城と赤い屋根の家々、アルプ湖、 そして背後のアルプスの山並みなどのコラボが素晴らしく、しばらく魅入ってしまう。

城へ到着
マリエン橋から10分ほどで城に到着。門をくぐり、中庭へ入って行く。
 

中庭
麓のチケットセンターで買ったチケットにはグループ単位で番号があり、その番号順に5分単位で入城できる。 尚、その時間に間に合わなかった場合は入城できないのだそうで要注意!

王座の間(現地購入のガイドブックより)
城内は撮影禁止なので、現地で購入したガイドブックの写真をちょっと借用。城内では、何と言っても、 「王座の間」と「歌人の間」だ。建築よりも土木興味人間?の私は、普段は、こういった部屋にはあまり興味を持つことはないが、 この2つの部屋ばかりはさすがに見事で、魅入ってしまった。

歌人の間(現地購入のガイドブックより)
広間全体がワーグナーがオペラの題材にした「パルシファル」の伝説を描いた絵画で覆われている。可哀相に、 ルートヴィヒ2世は一度もこの広間を使わずに亡くなったそうだ。

城内から外(眼下)の景色を         ~クリックにて拡大画面に~
城内は撮影禁止であるが、城内から外を撮るのはOK。城から見下ろすフォルッゲン湖や赤い屋根の家々の景色も、これまた素晴らしい(^-^)。

城内からホーエンシュヴァンガウ城を①

城内からホーエンシュバンガウ城を②  ~クリックにてズームアップ~

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