備前 下津井城(倉敷市)

三の丸から二の丸南面にかけて延びる石垣

家康の命で池田氏が西国大名監視のために瀬戸内海沿岸に築いた近世城郭

所在地

岡山県倉敷市下津井(瀬戸大橋架橋記念公園)
瀬戸大橋架橋記念公園の南(山頂)部分が城跡で、車は瀬戸大橋架橋記念公園駐車場に停めることができる。

所要時間

瀬戸大橋架橋記念公園駐車場から西の丸まで7~8分

形状

山城(標高88m、比高88m)

現状・遺構等

【現状】 公園
【遺構等】 曲輪、石垣、天守台、堀切、土塁、井戸、礎石、石碑、標柱、遺構案内板、説明板

満足度

★★★★

訪城日

2012/01/08

歴史等

下津井城の築城期は定かではないが、宇喜多秀家が内海の要衝として文禄年間(1592~96)に既存の小城を大改築して出城にしたと伝えられ、さらに近世的城郭化が図られたと考えられる。
宇喜多氏の滅亡後、小早川秀秋が備前国主(岡山城主)になると、重臣の平岡重定が居城した。
慶長7年(1602)に秀秋が病死して断絶し、代って池田忠継、次いで忠雄が備前国領主(岡山城主)になると家老職で赤穂城代だった池田長政が城主となった。
池田氏は、徳川家康の「下津井城を西国大名に対する瀬戸内海沿岸の戦略拠点に」という命を受け、池田長政に大改築を命じた。
長政は、慶長8年(1603)~同11年(1606)にかけて大改修をして近世城郭を完成させ、3万5千石を領して城主となった。城の改修にあたっては、同年(1603)に廃城とされた常山城の城郭建築物を活用したと伝えられる。
寛永9年(1632)に岡山城主の池田光仲と因幡・伯耆国の領主で鳥取城主の池田光政が国替えになり、光政が備前藩主(岡山城主)になると、一族で家老であった米子城主池田由成が3万2千石を領して、下津井城主となったが、寛永16年(1639)徳川幕府安定化に伴い、幕府の命で廃城となり、由成は天城に陣屋を構えて移った。
『日本城郭大系13他より』

現況・登城記・感想等

登城前は、公園化により、かなり破壊されているだろうと想像していたが、曲輪や石垣などの遺構が、かなり良好に残されている上、規模も大きく、見どころ満載の城だった(*^_^*)。
城の縄張りは典型的な連郭式山城で、山頂部に西側から西の丸、二の丸、本丸、中の丸、 東丸と曲輪が直線的に連なる。
近世城郭だけに、各曲輪が石垣造りで、中でも二の丸から三の丸にかけての石垣群は見応え充分だ。
また、西の丸と二の丸間の堀切・土橋もなかなかの光景だ。本丸北西隅には天守台跡も残っている。
各曲輪から見下ろす瀬戸内海に浮かぶ島々の眺望は素晴らしく、はるかに四国の山並みをも望むことができ、左(東)の方には瀬戸大橋が見える。この城が、児島湾を監視する為には絶好の位置にあることを実感する。
(2012/01/08登城して)

ギャラリー

下津井城縄張図(現地説明板より)
城の縄張りは典型的な連郭式山城で、最高所に西の丸があり、東へ二の丸、本丸、三の丸、中の丸、 東出丸と曲輪が直線的に連なる。
下津井城縄張図

【登城記】
馬場跡
下津井城は、車で山頂近くまで登ってくることが出来る。瀬戸大橋架橋記念公園駐車場に車を停めて、石段を登り、舗装された道を歩いて来ると、7~8分ほどで馬場跡へ出る。馬場跡の南側には西の丸の石垣(写真左)が見える。
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西の丸北面の石垣
登城前は、公園化により、山頂近くまで車で登れる城跡だし、遺構はかなり破壊されているだろうと思い、あまり期待していなかったが、この石垣を見て、気持ちが豹変?
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西の丸
西の丸は、下津井城の西端の最高所にある。曲輪の西部分が高くなった傾斜地になっており、西側から北側の周囲が土塁状に高くなっている。
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西の丸からの眺望
西の丸から見下ろす瀬戸内海に浮かぶ島々の眺望は素晴らしく、はるかに四国の山並みをも望むことができ、左(東)の方には瀬戸大橋が見える。また、眼下には下津井古城跡(現祇園神社)の小山も見える。
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西の丸東側の堀切と土橋
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二の丸の石塁
土橋を渡り、本丸方面へ向かうと、正面に石垣が見えてくる。幅3mほどの石塁で、往時は多門櫓が建っていたのだろう。
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石塁の内側と側面を
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本丸
本丸は、60m×55mほどの広さで、近世城郭としてはそれほど広くはない。正面奥は天守台。
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天守台と石碑
本丸の北隅には2段になった天守台跡があるが、上段は6m平方、下段は12~13m平方ほどで、それほど大きな天守ではなかったようだ。南西隅には石碑が立っているが、刻まれた字が何とも味があり気に入った(*^_^*)。
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二の丸跡
二の丸は、本丸西下から南下にかけてL字形に設けられている。この写真は本丸南下の二の丸で、眺望が良いので東屋が建てられている。右側は本丸へ登る石段。
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二の丸からの眺望
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三の丸へ
三の丸へ向かうと、左側に石列が見られた。多聞櫓でも建てられそうな石列で、その先が三の丸。
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三の丸
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三の丸からの眺望
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三の丸から二の丸南面にかけて延びる石垣
三の丸~二の丸の南面には見事な石垣が残っている。見応えの多い当城の中でも一番の見どころだろう。
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二の丸南東部下の石垣
上写真の奥に見える張り出し部分の石垣。櫓でも建っていたのだろうか。この石垣の奥にも石垣が続いていたが、明らかに現代版石垣だったので、ここで引き返してしまい、当城の見どころの一つである二の丸への虎口(大手)を見損なってしまった(;>_<;)。
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三の丸東側の石段
三の丸から中の丸へ向かった。三の丸下の石段が、寒椿が散っていて、きれいなピンク色になっていた。
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三の丸・中の丸間の堀切
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中の丸
中の丸は、近世城郭とは言いながら、石垣もなく切岸だけで形成されている。また、削平もきちんとされてはおらず、凸凹な地形がそのまま残されている。
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中の丸から瀬戸大橋を
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東出丸方面
中の丸の先(東)には東出丸跡があるはずだが、その途中には老人ホームがたてられ、それ以上東へは行けないようだった。
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