房総酒井氏5代100余年の本拠
所在地
千葉県千葉市緑区土気町
形状
平山城(標高100m)
現状・遺構
現状:市街地(住宅地)、日航研修センター他
遺構等:曲輪、空堀、土塁、切通し、石碑
満足度(10点満点)
4点
訪城日
2006/11/18
歴史等
土気城は、平安時代の鎮守府将軍であった大野東人が東北地方の蝦夷に対する軍事拠点の一つとして築いたものと伝えられている。
鎌倉時代に入り千葉氏の一族相馬胤綱の次子土気太郎が土気の荘の地頭に任ぜられ居住したと言う。戦国時代には畠山氏の居城となった。
その後、長享2年(1488)下総中野城主であった酒井定隆が、この土気城を攻略し、城を修復して入城した。そして、定隆は、
安房の里見氏をはじめとする房総の諸豪族との間で、同盟と裏切りを重ねながら、領土を拡大し、5代100余年間に亘って上総の地に君臨した。
しかし、天正18年(1590)の小田原の役で、城主酒井康治は後北条氏に与したため、豊臣秀吉により、所領を没収され滅亡し、
土気城も廃城となった。
『「現地説明板」、「貴船城説明板」、「日本の名城・古城もの知り事典(主婦と生活社刊)」参照』
現況・登城記・感想等
日本航空研修センターの所が城址であると分かっていながらも、見つけるのには本当に苦労した。
一方、今回の登城では、たまたま管理人の人らしき人に出会い、
普通は入ることが出来ない本丸を見せてもらうことが出来て本当にラッキーであった。
二の丸は道路でグラウンドと日航研修センターに分断されている。そして、その道路を進んで行くと切り通しのクラン坂となる。
日航研修センター建設時にかなり遺構が取り崩されたようではあるが、土塁や空堀等々が結構残っている。
また、近くに「土気城主之御墓所」もあった。
(2006/11/18登城して)
ギャラリー
本丸跡
左写真の奥は崖になっている。右写真の木の下に石碑があり、その左側には土塁が残っている。

本丸土塁

土気城址の碑(この石碑はかなり大きなものであった)

二の丸跡(二の丸は道路で日航研修センター㊧とグラウンド㊨に分断されている)

土気城主之御墓所(土気酒井氏5代の墓所で、土気城址の北西約800mの所にある)

