ローテンブルク

ローテンブルクの城壁、中央の搭はレーダー門、左奥はガルゲン門

ロマンティック街道と古城街道の交差地にある中世の面影が残る城塞都市

所在地

バイエルン州ミッテルフランケン行政管区ローテンブルク・オプ・デア・タウバー(Rothenburg ob der Tauber)

歴史等

ローテンブルクは、970年頃に東フランケン地方の豪族ラインガー(ローテンブルク伯) がタウバー渓谷の高台にグラーフェンブルク城塞を築いたのが始まりである。ローテンブルクの旧市街は、 下の図のように天狗の頭を横から見たような形をしているが、その天狗の鼻の部分であり、現在はブルクガルテン(城の庭)と呼ばれ、 ローテンブルク発祥の地である。
(ローテンブルク旧市街地図)      ~クリックにて拡大画面に~

最初は、この城の城下町という形で商人の町が生まれ、1172年には都市権を獲得し、 上の図に点線で示してある第1次城壁の建設が開始された。城壁の長さは約1.5kmであった。この時に建設されたヴァイサー搭とマルクス搭・ レーダーアーチは現存している。
その間に、町は城下町という性格から脱し、商人の町として独自の発展をしていき、 1274年には皇帝ルードルフ1世から帝国自由都市のお墨付きを得た。
帝国自由都市になったのをきっかけに城壁の大拡張が行なわれ、それまで城壁の外にあった人家も取り入れられて、 ローテンブルクは一層強力な都市になった。これが第2次城壁で、全長は2.4kmである。
14世紀に入って、城壁はさらに南の方(天狗の首にあたる部分)へ部分的に拡張された。これが第3次城壁で、全長は3.4kmになった。 この時もジーバー搭は取り壊されないで残された。
ローテンブルクで有名な話に「マイスタートゥルンクの伝説」がある。「マイスタートゥルンク」とは「名人芸の飲みっぷり」とか 「天下無双の一気飲み」といったような意味である。30年戦争さなかの1631年、 新教側についた当市はティリー将軍率いる旧教連盟軍にせめられ、必死の防戦も空しく10月30日に開城した。そして、 将軍が市参事会員たちの首をはねることになった。そこで、市参事たちは、将軍の気持ちを和らげようと、市の宝物である「選帝侯の大ジョッキ」 の当地産の白ワインを入れ、グラスに注いで将軍に薦めた。そして、将軍が、この3. 25リットル入る大ジョッキのワインを一気に飲み干す者あらば斬首は止めようということになった。この時、ヌッシュ市長が、これを受け、 一気に飲み干して、この窮地を救ったというのである。
30年戦争後、町は荒廃し見捨てられ、以後、数百年の間、小さな田舎町として発展から取り残されたが、一方、 見捨てられたことが幸いして中世の街並みを残せたとも云えよう。
第2次世界大戦の3月31日、爆撃により町の40%が破壊されたが、あるアメリカ軍元帥の裁断により、町は最後の爆撃から免れ、 大打撃を受けずに済んだ。
戦後、古き姿を残したままでの町の復興が図られ、国内外からの資金援助により、破壊を受けた防御壁や歴史建造物が完全に修復された。
『「新版ドイツの城と街道・紅山雪夫著(トラベルジャーナル社刊)」、「現地購入ガイドブック3種類」ほか参照』

現況・登城記・感想等

ロマンチック街道と古城街道が交差する位置にあるローテンブルク(Rothenburg)は、 周囲を城壁に取り囲まれた城塞都市である。また、中世の面影が色濃く残り「中世の宝石」と呼ばれている。
赤い切妻屋根の家や木骨組の家、かわいい看板やショーウィンドウ、石畳の路地、そして多くの歴史的建造物が残る町並みは、 まさに中世の世界に迷い込んだのかとさえ思う。
町の周囲を取り囲む城壁は全長3.4kmあるが、その城壁の上・外側・内側を、 城門や町の光景などを見ながらゆっくり歩いても2時間ほどで廻ることができる。
恐らく、ドイツでも最も魅力のある町であろう。そして、何度でも訪れたくなる町で、数日滞在しても飽きることはないであろう。
(2010/09/13、14訪れて)

ギャラリー

【ブルクガルテン地区】
ブルクガルテンは、970年頃にローテンブルク伯が初めて城を築いた所であり、ローテンブルク発祥の地である。 曲流するタウバー川の深い谷に三方を囲まれた高台で、城を築くにはもってこいの場所である。
ブルク門)
ブルクガルテンから市内へ入る所にあるブルク門は、第1次城壁の時代からの生き残りであり、14世紀に一度改築され、 高い塔が付け足されたとはいえ、当市では最古の門である。昔は、ブルクガルテンとの間に堀があり、はね橋が設けられていたという。

(ブルクガルテンからシュピタール地区を望む)  ~クリックにて拡大画面に~
ブルクガルテンの南側の胸壁からシュピタール地区を眺めると、 たくさんの搭を備えた城壁や赤い屋根の家並みが拡がる。また、その下のタウバー渓谷ともコントラストも素晴らしい。

(ブルクガルテンからタウバー渓谷を見下ろす)
タウバー渓谷を見下ろすと、緑の中の二重橋「ドッペル・ブリュッケ」と赤い屋根の光景が見える。

ブラジウス礼拝堂)
ブルクガルテンの南側に城壁の出入り口があり、そのすぐ上に「ブラジウス礼拝堂」が建っている。 1108年にローテンブルク伯の家系が途絶えた後は、城はホーエン・シュタウフェン家の所有となり、さらに大きな城塞「ライヒスブルク」 を築いたが、1356年の大地震によってほぼ崩壊してしまった。その中で、唯一残ったのが1150年に造られた城の礼拝堂「ブラジウス・ カペレ」で、内部には1400年頃に描かれた壁画もある。
 

(遊歩道「タウバー・リヴィエーラ」)
ブラジウス礼拝堂の下にある、城壁の出入口から出ると、 城壁の外側に沿ってシュピタール地区まで延びる遊歩道「タウバー・リヴィエーラ」が設けられており、コーボルツェラー門へ行くことが出来る。
 

【城壁を一周する】
町の周囲を取り囲む城壁は全長3.4kmあるが、その城壁の上・外側・内側を、 城門や町の光景などを見ながらゆっくり歩いても2時間ほどで廻ることができる。私は前日、 ブルクガルテンとブルクガルテンからコーボルツェラー門の部分は既に歩いているので、今日は、プレーンラインから、 コーボルツェラー門へ出て、そこから時計の逆廻りをすることにした。
プレーンライン・Plönlein)
プレーンラインは首の付け根辺りになる。ローテンブルクでも有名な一角である。 ここは第2次城壁建設工事の際、に自然とできた「小さな場所」を意味する。左に見える搭は、 ジーバー搭で右に見える搭はコーボルツェラー門である。

ジーバー搭・ Siebersturm)
城壁一周するには、プレーンラインからコーボルツェラー門へ向かうのであるが、 ちょっと寄り道をしてジーバー搭の写真を・・・。左は、プレーンライン側から撮ったもので、右は反対側まで行って撮ったもの。
 

コーボルツェラー門・ Kobolzeller Toor】
コーボルツェラー門も高い塔と外郭を備えた堅固な門である。外郭の門上に、帝国を象徴する「双頭の鷲」 とローテンブルクの市の紋章が付いている。
 

(コーボルツェラー門から城壁の上をシュピタール地区へ)
コーボルツェラー門の脇から城壁へ昇り、シュピタール地区へと・・・。まさに防御用の城壁が現われ、 そこにはいろんなタイプの狭間がみられる。いよいよ城らしくなってきたぞー(^-^)。
 

(狭間からブルクガルテンや町を望む)
狭間からは、タウバー渓谷の向こうに、ブルクガルテンや町の光景が・・・。左の高い塔はブルク門。

(ロスミューレ・Roßmühle)
シュピタールの近くまで来ると、ロスミューレが現われる。ロスミューレは1516年に作られた、 馬引き製粉所で、タウバー川の水位の低下、敵軍の包囲などにより水車が使えなくなったときのために製粉をするために建てられた。 現在はユースホステルとなっているそうだ。それにしても、窓が目玉のようで、まるで百目お化け?のようだ(笑)。

(シュトゥバーライン搭を伴った防壁と帝国都市ホールの側面)
帝国都市ホールは1699年に建てられた建物で、もとはシュピタール用の穀物倉庫であった。 1975年に改装され以後会議などに使われる帝国都市ホールとなった。600人を収容することができるため、歴史的会議や、 その他の催し物に利用されている。

シュピタール)
中世都市は、たいていみなシュピタール(病院)を持っていた。それは、市民の為の病院であり、 仮宿泊所であり、老人ホームであり、行き倒れた旅人の為の救護所でもあった。ローテンブルクのシュピタールは非常に規模が大きく、 しかも建物の配置や外観が昔のままに保存されている。現在では、主な建物は市営老人ホームに、一部はユースホステルに、 そして一番大きな建物が上写真にある帝国都市ホールになっている。
 

(シュピタール東側の城壁)
この辺りの城壁は、まさに中世の要害堅固な城壁だ~!今では、早朝ジョギングに最高の場所(笑)。 左奥の搭はシュトゥバーライン搭。

(シュピタール南側の城壁と濠)
この辺りの濠は、深さ10m近くある。この突き当たりがシュピタール門の下になる。

(濠に架かる橋)
シュピタール門の横には屋根つきの橋が架かっているが、当時は跳ね橋になっていたのだろうか?
 

シュピタール門)
シュピタール門は、ローテンブルクにある6つの城門の中でも最も壮大堅固であり、 それは門というよりも一つの独立した城塞のような威容を呈している。 門の内側には13世紀から17世紀にかけて市が造った一連の大きなシュピタール(病院)の建物があり、門の名もそこからきている。

(シュピタール門Ⅱ)
シュピタール門は7重になっているそうで、これは外側から2つ目。手前の橋の両側は深い濠になっている。

(シュピタール門Ⅲ)
これが確か3つ目の門であるが、迷路のようにぐるぐる廻るようになっており、この後にあるはずの4重の門は、 どうなっていたか記憶が定かではない(汗)。

(シュピタール要塞)
シュピタール門は、まさに要塞で、この中をグルグル廻ったような気がする?(汗・汗)  この8の字形の堡塁は16世紀になって出来た。16世紀は大砲の性能が向上し、破壊力がとみに大きくなったので、守る側は対応に苦心した。 対応策の一つが重厚な堡塁を城門の両側に張り出すことであった。シュピタール門は、 円形の堡塁が2つ重なって8の字形になっているところがユニークである。

(大砲も・・・)
要塞の中もクルクル廻り、途中には大砲が置かれていた。
 

(シュピタール門の搭を城壁内から)
写真奥に見えるシュピタール門の一番内側の高い搭は、14世紀にできた。

(城壁に昇り巡視路を歩く)
シュピタール門からしばらくは城壁の下を歩いていたが、途中から再度、城壁の上を歩く・・・。

【城壁からの光景】
城壁に登ると、赤い屋根や木骨組の家並みや綺麗な庭、そして高い塔などの風景を楽しむことが出来る。
(城壁からの光景① 旧鍛冶屋ゲルラッハーシュミーデとレーダー門)
細長い切妻屋根と木骨組の家がかわいらしい。

(城壁からの光景②)
赤い屋根の家並みが中世に迷い込んだのかと錯覚を覚える。遠くに、 マルクス搭と聖ヤコブ教会の2本の尖塔が見える。

(城壁からの光景③ 綺麗な庭と早朝の掃除)
綺麗に造られた庭の前で朝の掃除を・・・。本当に綺麗な庭が、益々ローテンブルクの魅力をアップ。

(城壁からの光景④ 遠くに聖ヤコブ教会が)
赤いとんがり屋根の家並みの向こうに聖ヤコブ教会が見える。


レーダー門】
(レーダー門前門)
レーダー門の前門は、2つのきれいな関税監視小屋で両脇を固め、内外部に向けて銃眼が備えられている。

(水濠)
関税監視小屋の後ろには深く掘り下げた外濠があり、石橋が架けられている。

(稜保・外門・内門)
外濠の石橋を通り抜けると、左右に一部側面開放の巡視路を備えた四角い稜保の外門に出る。そして、 内門を潜り抜けると、かつて跳ね橋があり、その下には二重に設けられた町の濠が通っている。13世紀建造の主門搭レーダー門は、 この町の最古のものである。

ガルゲン門】
レーダー門から北に行ったところにある門が1388年に建てられたガルゲン門である。ガルゲンは「絞首台」 という意味で、この門から町へ行く通りはガルゲンガッセ(Galgengasse)といい、文字通り門の外は処刑場だったようだ。

クリンゲン門】
このクリンゲン門の区域は、第2次城壁工事により建造されたものである。この城門搭は、 上部が張り出し部のあるランプ型の小屋根が印象的だ。
 

聖ヴォルフガング教会)
聖ヴォルフガング教会は別名羊飼いの教会というが、名前とは裏腹に、 この搭のない教会はクリンゲン門と繋がっており、クリンゲン門の搭へ昇降できる入口になっている。即ち、 防御用要塞としての役割も果たしていたのだ。

(クリンゲン門内濠)
クリンゲン門もなかなか堅固な造りになっており、濠も二重で、しかも複雑な上、内濠は水濠となっている。

(クリンゲン門外濠)
二重濠の外濠は、元々空濠であったのだろうか。いずれにしても、このクリンゲン門の構造もややこしくて、 何処をどう歩いたのかよく分かっていない(汗)。

【市内(城壁内)の建造物等】
マルクト広場)  ㊧ラートハウス、㊨市参事宴会場

市参事宴会場のからくり時計)
 「マイスタートゥルンクの伝説」について、市民は今でも、聖霊降臨祭のみならず、何か祭がある時には、 当時の模様を再現する劇を市民総出で行なっているという。また、市参事宴会場の三角形の破風に2つの窓がある仕掛け時計があり、日に数回、 左の窓にはティリー将軍、右の窓にはヌッシュ市長の人形が現われ、その時の情景を再現する。この日は、昼間は見ることが出来ず、午後9: 00になったが、多くの人出があった。
 

マルクス搭とレーダーアーチ)
マルクス搭の荘重な寄せ棟屋根やレーダーアーチは可愛らしい家並みと調和してなかなかのものだ。

ヴァイサー搭)

聖ヤコブ教会)

中世犯罪博物館、 ㊨犯罪博物館西側の城壁
犯罪博物館の辺りの左写真の城壁は、第1次城壁が残ったいるようだ。 右写真の城壁は隠れたような場所にあったが、見応えのある城壁で、遠くに見えるシュピタール地区の光景もなかなかgoodだ。ここから下への階段もあり降りていける。
 

ヘルンガッセ)
ブルク門とマルクト広場を結んでいる広い通りがヘルンガッセ(旦那衆通り)である。 10世紀にローテンブルク伯の城下に商人が集まりはじめた頃に、この一本道が中心になって人家が増えていった。商人の町という観点から」 いえば、この一本道こそが、ローテンブルクの発祥の地であり、生え抜きの老舗はたいていこの通りに居を構えていた。また、 あとから来て成功した者も、何とかしてこの通りに家を買い求め、老舗の旦那衆の仲間入りをしたいと思ったであろう。
(㊧ブルク門の前からマルクト広場方面を望む、㊨正面の搭はブルク門)
 

突き当たりがマルクト広場。

(噴水「ヘルテリッヒス・ブルンネン」)
ヘルンガッセのマルクト広場のすぐ近くに噴水「ヘルテリッヒス・ブルンネン(ヘルン・ブルンネン)」があり、 鳩が上手に水を飲んでいた。
 

【アウスレーガー(Ausleger)】
ドイツの街には、店先に吊るされた鍛鉄製の飾り看板(アウスレーガー)が多いが、ローテンブルクは特に多く、 それを見て歩くのも楽しいものだ(^-^)。
 

 

 

【ショーウィンドウ】
綺麗に飾られたショーウィンドウを見て歩くのも結構楽しい(^-^)。
 

 

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