城の北側の濠越しに臨むカイザーブルク
ニュルンベルクの北の高台に建つ神聖ローマ帝国の皇帝の城塞
ドイツ語名
Kaiserburg
所在地
バイエルン州ニュルンベルク(Nürnberg)
ユースホステル:JGH Nurnberg Burg 2 90403 Nurnberg
tel: (0911) 2309360
fax: (0911) 23093611
現状
復元ブルク、博物館、ユースホステル
歴史等
ニュルンベルクの成立は明らかではないが、1050年に、神聖ローマ帝国皇帝ハインリッヒ3世の時に「nuorenberc」として記録され、ここに最初の要塞を建てたという。その後、皇帝の拠点として神聖ローマ帝国で重きをなした。
1140年頃には、コンラート3世が居城を建設し、さらに、その後の拡張や改修を経て、15~16世紀に現在の形になった。当時の皇帝は各地の城を移動しながら統治を行っていたが、1050~1571年における皇帝の全てが、この城に滞在している。
中世以来、ニュルンベルクはアウクスブルクと共にイタリアとヨーロッパ北部を結ぶ2大貿易都市であった。
19世紀になるとニュルンベルクはバイエルンの工業中心都市の一つとして発展した。1835年にはドイツ初の旅客鉄道アドラー号がニュルンベルクからフュルトまで運行を開始した。
ナチス党政権下時代には、1933年から1938年にかけてナチス党大会が行われ、ナチス党政権下のドイツを象徴する都市となった。それ故、第二次世界大戦中、ニュルンベルクは連合国軍による空爆の優先目標となり、イギリス空軍とアメリカ空軍に徹底的に爆撃されて全市域が甚大な被害を負い、歴史的建造物も破壊された。
第二次世界大戦後、戦勝国はナチス独裁政権下の指導的戦争犯罪人に対する「ニュルンベルク裁判」を実施した。
現況・登城記・感想等
ニュルンベルクは街の周囲を深い濠と部厚い城壁で取り囲まれた大規模な中世の城塞都市である。そして、その町を見下ろす旧市街北端の高台に神聖ローマ帝国の皇帝が滞在した城「カイザーブルク」が聳えている。
神聖ローマ帝国には首都がなく、皇帝は広い領土内を移動しながら統治していたのだ。まるで、全国を出張して廻っているサラリーマンのようだ(笑)。
領内には幾つかのカイザーブルクがあり、皇帝はそこに滞在した。この辺りは、ビジネスホテルに泊るサラリーマンとは大違い?
そういうわけで「カイザーブルク」は、他にもいっぱいあったようだが、いろいろ調べても、他に「カイザーブルク」というのが見当たらない。その理由は、今残っているのが、このニュルンベルクのカイザーブルクだけなのか?或いは、ここだけが有名なのか?誰か知ってる方がいらしたら教えて下さい。
今回のツアーの予定にカイザーブルクは入っていなかったが、マルクト広場での僅か30分の自由時間を利用して走って登城した。勿論、建物内部まで見学する時間はないが、城域内をうろうろと小走りで見て廻った。
重厚な建造物が多く、まさに城塞というに相応しく、好きなタイプの城だが、管理棟等の木骨組みの部分がどうも、城というにはそぐわないような気も・・・。
一方、町の反対側になる城の北側の登城口周辺の深い濠と城壁は複雑に屈折し、堅固な造りになっているのが感じられ、見応えも充分である。そして、濠越しに見上げる城塞が実にかっこいい。
ここの城壁がニュルベルクの旧市街へと続いているのかと思うとスゴイ!!
また、城から見下ろすニュルンベルクの眺望は素晴らしく、赤い屋根が続く家並みや多くの高い塔が見え、中世の雰囲気を醸し出す街は、第2次世界大戦で9割が壊滅になったとは思えないほどだ。
街の周囲を取り囲む城壁も完全に復興されたようで、部厚くて重厚な城壁や搭、そして深い濠は、見応えたっぷりだ。また、その濠を利用して地下鉄が走っている姿も印象的だ。
また、ニュルンベルクは歴史ある職人の街でもあり、1971年に造られたという職人広場や、青空市場が開かれ人で賑わうマルクト広場の散策も楽しい。
この街を見ていると、ドイツ(人)の復元力というかすごさが理解できるような気がする。
尚、雨が降っていたせいか、ニュルベルクの名物「焼きソーセージ」を売っている店が見付からず、食べれなったのだけが残念だ!
(2010/09/14登城して)
ギャラリー
カイザーブルク城縄張略図(現地ユースホステル脇の説明板より)
説明板を私なりに訳したが、果たして・・・?
①inner Burghof(内側の中庭)、②Kemenate(婦人居住館?)、③Palas(パレス・宮殿)、 ④Kaiserkkapelle(帝国教会)、⑤Heidenturm(非ユダヤ人の搭?、異教徒の搭?、異郷人の搭?)、 ⑥Auberer Burghof(外側の中庭)、⑦Tiefer Brunnen(深い井戸)、 ⑧Sekretariatsgebaude(秘書官棟?、現在は管理事務所)、⑨Sinwellturm(ジンヴェル搭)、 ⑩Himmelsstallung(青空厩舎)、⑪Freiung(?)、 ⑫Walburgiskapelle(ヴォルブルクギス教会)、⑬Burgamtmannsgebaude(城の管理人棟?)、 ⑭Funfecturm(五角形の搭)、⑮Kaiserstallung heute jugendherberge(皇帝の厩舎、現在はユースホステルに)、⑯Luginsland
旧市街から高台に建つ城塞へと向かう
僅か30分しかないので、走って城塞が建つ街の北の高台まで向かった。左(西)側が城の主郭部、右(東)側はユースホステル。
主郭部
左端が宮殿、中央の搭は⑨Sinwellturm(ジンヴェル搭)、右の搭は⑫Walburgiskapelle(ヴォルブルクギス教会)。
㊧⑭Funfecturm(五角形の搭)、㊨⑮Kaiserstallung(現ユースホステル)
説明板にはKaiserstallungとあり、直訳すると「皇帝の厩舎」ということになるが、新潮社刊の「ドイツ~チェコ古城街道」によると「かつての穀物庫」となっているが、どちらが正しいんだろうか?まあ、建物を見れば、厩舎には見えないがネ。脇に建つ搭はFunfecturmとあり、直訳すると「五角形の搭」となるが、どう見ても五角形には見えない・・・?いずれにしても見張搭だったのだろうけど・・・。
⑬Burgamtmannsgebaude(城の管理人棟?)の脇の門をくぐって城主郭部へ向かう
⑨Sinwellturm(ジンヴェル搭)
円柱形が特徴の見張り用のジンヴェル搭。この搭には登れる(有料)らしいが、時間がなく断念!
ジンヴェル搭の近くからのニュルンベルクの眺望
城から見下ろすニュルンベルクの眺望は素晴らしく、赤い屋根が続く家並みや多くの高い塔が見え、中世の雰囲気を醸し出す街は、第2次世界大戦で9割が壊滅になったとは思えないほどだ。ジンヴェル搭からの眺望は、さらに素晴らしいんだろうな!?
ジンヴェル搭をくぐり、⑥Auberer Burghof(外側の中庭)へ
左の搭は、⑤Heidenturm(非ユダヤ人の搭?、異教徒の搭?、異郷人の搭?)、その奥に④Kaiserkkapelle(帝国教会)、中央の小さな建物(左側)の中には⑦Tiefer Brunnen(深い井戸)があり見学(勿論、有料)できるらしいが時間がなく断念。井戸の深さは60mあるとか・・・。その右手前はチケット売場である。右奥の建物は⑧Sekretariatsgebaude(秘書官棟?、現在は管理事務所)。
①内側の中庭から
要するに日本の城でいうところの本丸である。左側が③Palas(パレス・宮殿)である。中央の建物が②Kemenate(婦人居住館?)で、一階入口にチケット売場があったが残念ながら時間が(無念)。井戸の横のチケット売場とどう違うんだろう?
城の北側へ向かう
⑬Burgamtmannsgebaude(城の管理人棟?)の横にある地下道のような道を通って城の北側へ向かった。
城の北側の濠
北側の濠は、非常に深く屈曲していて、堅固に造られているのがよく分かり、見応え充分でかっこいい!濠の両側へ廻って行きたかったが、時間がなくてとても無理!!
北側の濠越しに望むカイザーブルク
このアングルが最高だと思いませんか?すっかり気に入って、しばらく見ていたかったが・・・(残念!)
【ニュルンベルク旧市街周囲を囲む濠と城壁】
街の周囲を取り囲む城壁も完全に復興されたようで、部厚くて重厚な城壁や搭、そして深い濠は、見応えたっぷりだ。また、その濠を利用して地下鉄が走っている姿も印象的だ。左下が地下鉄。
【職人広場】
職人広場は画家デューラー生誕500年祭の1971年にフラウエン門とケーニヒ門の間の城壁内側に造られた新しい観光スポットで昔の職人の家を再現した小さな一角である。「職人広場」といっても広場ではなく、小路と言った方が正しいかも。何屋さんのディスプレイだろうか?
【中央広場】
(ケーニッヒ通りからカイザーブルクの遠景を)
カイザーブルクはニュルンベルクの北の丘の上にあると聞いていたが、今回のツアーの予定に入っていなかったので「せめて遠景だけでも」とばかり、ニュルンベルクに到着した時から、北の方ばかり眺めていた(笑)。職人広場を出て、大通りケーニッヒ通りを中央広場へ向かいしばらくすると、北の方にカイザーブルクの上半身?が見えてきた~(^-^)。
(中央広場)
青空市場が開かれ人で賑わうマルクト広場の散策も楽しい。左奥は聖母教会。
㊧聖母教会のからくり時計、㊨美しの泉(シェーナーブルンネン・Schoner Brunnen)
㊧ドイツ最古のからくり時計で、1509年にできたものだそうだ。毎日正午になると動き出し、7人の選帝候が皇帝カール4世の周りを回るそうだ。
㊨美しの泉は1396年にパーリア・ハインリッヒ・ベーハイムが建てたもので、この街最古の管状の噴水。
これもニュルンベルクのシンボルであるが、泉とともに有名なのが、この周りの鉄格子。1587年にパウルス・クーンが作ったのであるが、南東側にある「手工業・見習者の輪」と名付けられる輪がはめ込んである。その昔、若い鍛冶屋の徒弟が親方に娘を嫁に欲しいと申し出たところ、親方は「継ぎ目のない鉄の輪が作れるようになったらやろう」と言い残して旅に出てしまった。しばらく経って親方が旅から戻ると、若い徒弟は既に親方の娘を連れて出て行ったあとだった。そして、広場の泉の柵には継ぎ目のない見事な黄金の輪がはめられていたという。この黄金の輪、3回廻しながら願い事を唱えると叶うと言われているそうだ。