ニンフェンブルク宮殿正面
ヴィッテルスバッハ家の夏の離宮、ルートヴィヒ2世はここで生まれた
ドイツ語名
Schloss Nymphenburg
別名
ニンフェンブルク宮殿
所在地
バイエルン州ミュンヘン(München)
歴史等
ニンフェンブルク城(ニンフェンブルク宮殿)は、ヴィッテルスバッハ家の夏の離宮として16世紀中頃から17世紀初頭にかけて築かれた。
1662年、バイエルン選帝侯フェルディナンド・マリアは、結婚10年目にしてようやく待望のマクシミリアン2世・エマヌエルが誕生したのを機に、夏の別荘の建設を思い立ち、1664年、イタリア人建築家アゴスティーノ・バレリの設計で建設がスタートした。
そして、次のマクシミリアン2世・エマヌエル選帝侯の治世1679~1726年頃にはほぼ完成し、現在の規模になったという。
広大な美しい庭園は、フランス人の造園技師がベルサイユ宮殿庭園を手本に設計したものである。
この宮殿は長い間バイエルンの支配者の夏の居城として使われた。
尚、初代バイエルン王マクシミリアン1世は1825年にここで亡くなり、1845年にはその曾孫であるルートヴィヒ2世も、ここで誕生した。
ニンフェンブルク城は、ドイツでは第2次世界大戦の被害を受けなかった数少ない城の一つである。
『「地球の歩き方・ドイツ(ダイヤモンド社刊)」、「るるぶ情報版ドイツ’10~’11(JTBパブリッシング刊)」ほか参照』
現況・登城記・感想等
ニンフェンブルク城の見事な庭園と豪華な宮殿は多くの見学者を魅了するだろう。そしてなにより、とにかく広い!やたらと広い!
ヴェルサイユ宮殿の庭園を手本に設計したという庭園は20haもあり、また、宮殿のファサード(façade)は全幅700m以上もあるというからすごい。大変な規模だ!これほどの宮殿が1600年中期から1700年初頭に築かれたというのだから驚きだ。
ただ私は、どうもこの手の城、つまり、やたらとだだっ広い平坦な土地に、広さの割にはそれほど高くない建物が広がっている城は掴み所がない感じで苦手だというか、あまり好きではない。
尤も、今回は僅かな時間しかなく、館内見学もできなかったので、その魅力については、館内の装飾や絵画等々も見てから判断するべきかもしれないが・・・。おまけに、この宮殿の場合、広い庭園内に小さな城館もいっぱい点在しているし・・・。
もう一つ驚くことがある。それは、今もってヴィッテルスバッハ家当主が所有者であるということだw(*゚o゚*)w。
(2010/09/15)
ギャラリー
表正面から見たニンフェンブルク宮殿
宮殿から表側庭園を臨む
表側庭園
裏から見たニンフェンブルク宮殿
宮殿から裏側庭園を臨む
裏側庭園
【館内】
宮殿内の装飾や絵画等々は素晴らしいものがあるようだ。おまけに、フラッシュをたかなければ撮影OKとのことである。今回の私のツアーは夕方になってしまい時間もなくなり館内への入城はできなかったが、家内の前回の旅(2006/06/01)の時に撮った写真があるので、それを掲載することにした。
石造りの広間と天井のフレスコ画
宮殿の3階建ての大広間「石造りの広間」の天井画はツィンマーマンの作品で、この城の名にちなんだ『女王フローラに敬意を表するニンフ』のフレスコ画がある。
ルートヴィヒ1世の美人画ギャラリー
当時の宮廷画家ヨーゼフ・シュティーラーが王ルートヴィヒ1世の要請で描いた36人の女性たちの肖像画が飾られている。尚、王は踊り子ローラ・モンテスに熱をあげ、王室の財産をつぎ込みすぎて退位の原因となったという。
ルートヴィヒ2世の金細工の馬車
宮殿の南側の馬車博物館にはMarstallmuseumがあり、ルートヴィヒ2世の金細工の豪華な馬車やそりが展示されている。