サグント城(バレンシア県サグント)

第二次ポエニ(ハンニバル)戦争の激戦地に築かれたアラブの城塞

スペイン語名

Castillo de Sagunto

所在地

バレンシア州バレンシア県サグント

歴史等

サグント(Sagunto)に最初に居住したのはイベロ族の人々である。その後、ギリシャ人がやってきて砦を建設した。
その後、紀元前7世紀頃にカディス(現アンダルシア州・カディス県の県都、ヨーロッパ最古の都市の一つ) を建設したフェニキア人の末裔にあたるカルタゴ人がイベリア半島の南部に定住するようになった。彼らは、 ギリシャ人の勢力をイベリア半島から駆逐し、北アフリカをも含む地中海沿岸まで支配権を拡大した。
しかし、サグントゥム(現サグント)は、カルタゴの支配を嫌い、地中海で覇権を伸ばしていたローマに接近した。
地中海の支配をめぐってローマ対カルタゴが衝突した第一次ポエニ戦争(紀元前264~紀元前241)はローマの勝利に終わり、 カルタゴに残されたのはイベリア半島の僅かな植民地だけとなった。
紀元前237年、カルタゴの将ハミルカル・バルカが半島の再征服を開始し、その10年後の紀元前227年にはカルタゴ・ノヴァ (現カルタヘナ)という首都を建設した。
紀元前218年、ハミルカル・バルカの子ハンニバルは不倶戴天の敵ローマ攻略に着手し、サグントゥムを巡って、第2次ポエニ戦争 (別名ハンニバル戦争・紀元前218~201)に突入した。
ハンニバルは、城壁を包囲・攻撃した。8ヶ月にもわたる厳しい抵抗を続けたサングトゥムであったが、 期待していたローマからの援軍が得られず、ついに征服された。
カルタゴを抑えたハンニバルは、ここから、ローマを目指す有名なアルプス越えに出発した。
緒戦は破竹の勢いで南イタリアの大半を征服し、一時は絶対優位となったハンニバル軍であったが、最後はスキピオ率いるローマ軍に敗れ、 カルタゴは壊滅し、2年後にスキピオにより再攻略されたサグントゥムも、ローマ都市として生まれ変わる。
しかし、409年頃から、スエヴィ族、アラン族、バンダル族のゲルマン三民族が侵入してきて、サグントゥムは徹底的に破壊された。 次の支配者西ゴートの人々は、破壊されたローマの城跡を「ムルス・ヴェトゥス=古い城壁」と呼んだ。
そして8世紀に入り、イベリア半島をほぼ支配下に置いたイスラム教徒は、ローマ時代の城壁跡を利用して、現在残る城塞を建設した。
城壁はローマ時代の集落とは一致しておらず、城壁外南・東方向にローマ建築跡、また、西方向にはイベロの城壁跡も発見されている。
『「図説・スペインの歴史・川成洋著(河出書房新社刊)」、「サイト: スペイン国盗り物語~スペイン国内の古城~」他参照』

現況・登城記・感想等

ローマ攻略を目指し、象を引き連れてのアルプス越えで有名なハンニバルが戦ったサグントである。
パック旅行のコースに入っていないため登城できないのは止むを得ないとして、さらに今日は朝から無情の雨。折角、城のすぐ傍を通るのに、 バスの窓も水にぬれて、ぼんやりとしか見えず、何とも無残な写真が・・・。
サグント城は、丘の頂上をぐるりと城壁が巡り、全長1kmに及ぶ広大な要塞跡だそうだが、その感じが何となく分かっただけでも・・・? 残念無念!(泣)。
(2009/03/30バスの車窓より)

ギャラリー

恨みの雨
朝から無情の雨。折角、城のすぐ傍を通るのに、バスの窓も水にぬれて、ぼんやりとしか見えず、 何とも無残な写真が・・・。表紙写真が一番まとも?

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