アルハンブラ宮殿(グラナダ)

イベリア半島最後のイスラム政権・ナスル朝により築かれた宮殿

スペイン語名

Palacio de la Alhambra

所在地

アンダルシア州グラナダ県グラナダ

訪城日

2009/03/29

歴史等

アルハンブラは一つの城塞都市であるが、当初から全体が計画的に築かれたのではなく、時代を経て次々と建てられた様々な建築物の複合体であり、時代により建築様式や形状なども異なっている。
最初に、イスラム教徒のムーア(モーロ)人がグラナダの沃野「ベガ」に入植し始めたのは8世紀である。最初に栄えたのが後ウマイヤ朝(756~1031)であるが、このときの都はまだコルドバであり、グラナダの丘の上には軍事要塞アルカサーバだけが建てられていた。
グラナダ王国が建国されたのは1238年。相前後してコルドバセビーリャが陥落し、レコンキスタ(キリスト教徒たちの国土再征服)が完了しつつある時代のことであった。
ナスル朝初代王ムハンマド1世(アル・アフマール、在位1232~73))は脆弱な国家の基盤を整えるため、仇敵カスティーリャ王国に服属して外交を安定させ、商工業の発展に力を注いだ。そして、経済が整うと王は、アルハンブラ城内に王宮を築城した。それが、スペイン=イスラム文明の輝かしいモニュメント・アルハンブラ宮殿である。
都を見下ろす丘の上に姿を現したアルハンブラ宮殿は、初代王の没後も歴代の王によって建設が進められ、7代王ユースフ1世(在位1333~54)とその子ムハンマド5世(在位1354~59、1362~91)の世になってようやく完成をみる。この時代、アルハンブラ城内にはモーロ人貴族を中心に2000人以上の人々が暮らし、市場・モスク・住宅街が整備され、貴族の宮殿は7つを数えたという。
しかし、15世紀に入ると、再びナスル朝グラナダ王国は危機を迎えた。キリスト教勢力のカスティーリャ王国とアラゴン王国が接近し始めたことで、両国の対立を外交上利用することが困難になり、政情不安にともなってジェノヴァ商人の足もナスル朝から遠のき、経済的にも孤立を深めることになった。さらに、ナスル朝内部の政治闘争が続いたことで一貫した対内、対外政策がとれず、場当たり的なカスティーリャ王国との戦闘は、同王国のレコンキスタの機運を強めさせるだけで、ナスル朝を利することはなかった。
1492年、もはやレコンキスタの勢いに抗しきれないと判断した最後の王ボアブディルは、カトリック女王イサベルに城を明け渡し、臣下とともに北アフリカに逃れた。
カトリック両王は、アルハンブラ宮殿都市統治を、テンディーリャ侯爵兼モンデハル侯爵であるD・イニゴ・ロペス・デ・メンドーサに任した。彼の末裔は1718年まで城代の地位を受け継ぐことになる。
両王の孫のカルロス5世は、この宮殿を自らの帝国の支配の中心地にする考えを持ち、改築が行われた。フェリペ2世は、父の宮殿造営を引き継いだが、それは決して終わることはなかった。
しかし、18世紀の王位継承戦争(1714)や19世紀初頭のナポレオン戦争を経て、アルハンブラは荒れ果ててしまった。
19世紀の米国人作家ワシントン・アービングの「アルハンブラ物語」によって再び世界の注目を集め、積年の埃にまみれた夢からアルハンブラを目覚めさせたのである。
そして現在も、緻密な修復の途中にある。
『「現地購入誌・アルハンブラ散策(EDILUX S.L.)」、「地球の歩き方・スペイン(ダイヤモンド社刊)」他より』

現況・登城記・感想等

今回のスペイン旅行で最も期待していたのが、このアルハンブラ宮殿であったが、ちょっと期待はずれ。私は、あまり魅力を感じなかった。
それも止むを得ないであろう。本来なら、見て廻るのに少なくとも半日は掛かるであろうところを、僅か1時間半弱でさらっと廻っただけなのだから・・・。
おまけに私が一番見たかった軍事要塞部アルカサーバ(Alcazaba)がはずされ、庭と宮殿部分のみのコースだったのだから・・・。
日本の城で同じことだが、石垣や城壁は外側から見てこそ見応えがあるものだ。せめて城外から真近にアルカサーバの城壁や搭だけでも見たかった。
確かに、フェネラリーフェ(Generalife)の庭は美しかったし、宮殿内部の彫刻は繊細を極めた見事なものであったとは思うが・・・。
どうも私の好みは建築系ではなく土木系らしく、建物、特にその内部の装飾等々には興味が向かない。また、建物等々に関しては、トルコのトプカプ宮殿の方が魅力的だったような気がする。
ただ、宮殿から眺める「城塞都市として発展したというアルバイシン地区の丘に白い壁の家が立ち並ぶ光景」は実に素晴らしかった。おまけに、城壁まではっきり見えた~!!いつか、それらの城壁や搭を見て廻りたいものだが、無理だろうネ!
(2009/03/29登城して)

ギャラリー

アルハンブラ城内図(現地説明板より) ~クリックにて拡大画面に~
パック旅行ゆえ、時間が無く、アルカサーバをはずすのは止むを得ないが、せめてこの現地案内板通り青い線のコースを通ってくれたら、迫力ある城壁や搭の姿を見ることができたのにと思うと本当に残念だ!! 阪急交通社さんよろしくね!!

登城
濠に架かる橋を渡って、いよいよ入城。左奥に見えるのは「水の搭」。


【搭&門】
水の搭
この搭は防衛機能以外に、集落全体に水を供給する用水路を守るという重要な役割を果たしていた。写真手前が水路。

七層の搭、バルタサール・デ・ラ・クルスの搭、ファン・デ・アルセの搭
手前から七層の搭及び門、バルタサール・デ・ラ・クルスの搭、奥に僅かに見えるのがファン・デ・アルセの搭。
七層の搭及び門は、ボアブディル王がアルハンブラを去る時に通ったのがこの扉である。王自らの意向により、その時以来、この扉は永久に閉じられたまま”semper clausa”だと伝説は伝える。
ナポレオン軍撤退の際の爆破で最も被害を被ったが、昔の版画により構造が分かっていたために当時の姿に再建された。

カピタンの搭

㊧裁きの門、㊨アルカサーバへの道
1348年、ユースフ1世によって建てられ、アルハンブラ城内への出入口の中でも常に主要な門の一つであった。ここも現地案内板通り青い線を行けば通れたのに(恨)。

ぶどう酒の門
「ぶどう酒の門」の名は、1554年から門の内部にあった免税のぶどう酒市場がもとになって付いたという説が一般的に受け入れられている。アルハンブラ・アルタ地区への通用門となっており、軍事領域と市井の空間との境界線にもなっていた。奥に見える搭は、右側がオメナッヘの搭、左側がケブラーダの搭。

ケブラーダの搭&オメナッヘの搭
ケブラーダの搭(写真中央)は上から下へと走る傷のような亀裂があるためケブラーダ(割れた)の搭と呼ばれる。
オメナッヘの搭(右側)はカリフ時代のアルカサーバの中では最も古い搭である。9世紀に存在した最も古い搭の廃墟の上にアラマール王が再建を命じたものとも考えられるそうだ。

カディの搭(左)と囚われ人の搭(右)

囚われ人の搭
この搭と「王女たちの搭(下写真)」とは、警備用通路をまたぐように建てられた、要塞の姿をした邸宅である。それにしても名前の由来は何なんだろう?

王女たちの搭
「囚われ人の搭」と「王女たちの搭」なんてのが、すぐ傍に並んで建っているなんてのが??


【宮殿(Palacio)】

《ナスル朝宮殿》
(メスアール宮)
㊧メスアールの間、㊨メスアールの中庭

(コマレス宮)
アラヤネスの中庭
アルハンブラ宮殿は美しい中庭が多いが、私にはこの中庭が最も印象的だった。その美しい比例や水鏡の効果などが素晴らしい。

(ライオン宮)
ライオンの中庭
本来は、箱型のものが建っている庭の中央に、円形に並べられた白大理石の12頭のライオンの噴水があるが、現在修理中だそうだ。いつ戻るか分からないのが、この国らしいところ。

アベンセラッヘスの間の天井
ライオンのパティオを中心に二姉妹の間と対をなしている。その二姉妹の間の天井もそっくりなのであるが、窓のあるなしで判別できるようだ。アベンセラッヘスの華族がある事件で王の怒りにふれて、断罪されたという部屋だそうで、その名がありらしい。

《カルロス5世宮殿》


【パルタル(Partel)】
貴婦人の搭
アルバイシン地区やヘネラリーフェの庭園、そして池の水に映るパルタルの庭園が見渡せ、且つそれらを俯瞰する豪奢な望楼である。

ユースフ3世の宮殿跡
かつてアルハンブラ宮殿にあった7つの宮殿の一つである。私には、奥に見えるサンタ・マリア・アルハンブラ教会の鐘楼のコラボが魅力的に思える。

サンタ・マリア・アルハンブラ教会
モスクのあった場所にキリスト教徒によって建立された。


【ヘネラリーフェ(Generalife)】
(パルタルからヘネラリーフェを望む)

(フェネラリーフェの庭園①)

(フェネラリーフェの庭園②)
庭園越しにアルハンブラを眺める。


【その他】
アベンセラッヘスの宮殿跡(Palacio de los Abencerrajes)

アルバイシン地区(東方面)の眺望 ~クリックにて拡大画面に~
メスアール宮の回廊から眺める「城塞都市として発展したというアルバイシン地区の丘に白い壁の家が立ち並ぶ光景」は本当に素晴らしかった。おまけに、城壁(写真右上)まではっきり見えた~!!

アルバイシン地区(西方面)の眺望 ~クリックにて拡大画面に~
そして、もう少し天気がよく青空だったら云うことなしだけどネ。超広角カメラも欲しいところだ。

アルハンブラ宮殿の夜景
前日の晩、フラメンコショーを見た後に、サン・ニコラス教会展望台からアルハンブラ宮殿の夜景を見た。確かに幻想的できれいだったが、やっぱり青空のもとでも見たかった!! おまけに、私の写真はピンボケだったので、後ほどスペイン旅行をされたH川さんに送って戴いた写真を掲載します。
アルハンブラ夜景

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