幕末に品川沖の台場の他に陸続きに造られた台場
別名
御殿山下砲台
所在地
東京都品川区東品川1-8-30(台場小学校)
形状
台場
現状・遺構
現状:台場小学校、市街地
遺構:石垣の石、第二台場の灯台のミニチュア版、説明板
満足度(10点満点)
1点
訪城日
2007/01/28
歴史等
嘉永6年(1853)、アメリカ合衆国のペリーが4隻の軍艦(黒船)を率い、日本に開国を求めるため浦賀に来航した。
鎖国をしていた当時の日本は大騒動になり、徳川幕府は江戸の町を守るため、急いで品川沖から深川洲崎にかけて11の台場を造ることにした。
伊豆韮山の代官・江川太郎左衛門英龍がオランダの書物をもとに砲台造りの指導にあたり、第一から第三台場と第五・第六台場は完成させたが、
残りの第四・第七は中途で工事を中止し、第八以下は着工にも至らなかった。その代りとして、陸続きで五角形の砲台を造ることになった。
これが御殿山下台場(砲台)である。明治になると埋立てられ姿を消したが、幸いなことに台場の輪郭は道として残り、
今でもその位置と形を知ることが出来る。跡地に建つ台場小学校の敷地はこの台場の半分程の面積を占めている。
台場跡からは石垣が発見され、小学校にはその石垣を使った記念碑が建てられた。石垣の上に立つ灯台は、明治3年(1870)、
日本で3番目の洋式灯台として第二台場に造られた品川灯台を模したものである。
品川灯台は、現在は国の重要文化財として愛知県犬山市の博物館明治村に移設されている。
平成18年3月31日 品川区教育委員会
『現地説明板より』
現況・登城記・感想等
御殿山下台場は台場小学校を含む近辺であり、今でも、その五角形の形が道になって残っているとのことで、
小学校の周りの道を歩いてみたが、五角形の形が分かったような分からないような感じであった。後で北品川の駅前にある地図を見てみたら、
ちょっと歪んだ五角形が分かった。
台場小学校への途中には旧東海道品川宿があり、「土蔵相模跡」というのがあった。ここは、高杉晋作や久坂玄瑞らが、
品川御殿山の英国公使館焼討ちの密議をかわしたところだそうである。尤も、今では、
その跡地はコンビニになっており情緒もへったくれもないが・・・
また、昔、海であった名残りの「船だまり」があり多くの釣り船が泊まっており、品川百景に指定されている。
台場小学校の正門横に御殿山下台場の石垣を使った記念碑があり、石垣の上に第二台場にあったという灯台のミニチュアが立っている。
(2007/01/28訪ねて)
ギャラリー
土蔵相模跡
台場小学校への途中には旧東海道品川宿があり、「土蔵相模跡」というのがあった。ここは、高杉晋作や久坂玄瑞らが、
品川御殿山の英国公使館焼討ちの密議をかわしたところだそうである。尤も、今では、
その跡地はコンビニになっており情緒もへったくれもないが・・・
品川浦舟だまり
昔、海であった名残りの「船だまり」があり多くの釣り船が泊まっており、品川百景に指定されている。
御殿山下台場跡近辺の地図
台場の輪郭は道として残り、今でもその位置と五角形の形を知ることが出来るとのことで、
小学校の周りの道を歩いてみたが、分かったような分からないような感じであった。後で北品川の駅前にある地図を見てみたら、
ちょっと歪んだ五角形が分かった。
記念碑
御殿山下台場跡からは石垣が発見され、台場小学校の正門横にはその石垣を使った記念碑が建てられている。
石垣の上に立つミニチュア灯台は、明治3年(1870)、日本で3番目の洋式灯台として第二台場に造られた品川灯台を模したものである。
本物の品川灯台は、現在は国の重要文化財として愛知県犬山市の博物館明治村に移設されている。