副郭周囲を囲む土塁
小金城主高城氏家臣平川氏の城か? 郭の周囲を囲む高い土塁が印象的
所在地
千葉県柏市増尾字稲荷下、増尾城址公園
当地への目標地点:芝浦工大柏中学(柏市増尾700)
形状
平山城
現状・遺構等
現状:増尾城址公園
遺構等:曲輪、土塁、櫓台、空堀、石碑、説明板
満足度
★★☆☆☆
訪城日
2007/01/20
歴史等
増尾城の由来については、当時の資料がなく、城主や築城のことなど詳しいことは分からない。
大正12年に編纂された「東葛飾郡誌」には、戦国時代、当地は小金領にあり小金城
(現松戸市)を本拠とする高城氏の家臣平川若狭守が城主であったと推測されている。
城跡は、西側から東側へつきだした小規模な舌状の台地に立地し、南側眼下には手賀沼に注ぐ大津川の分流が流れ、
北側から東側にかけてはゆるやかに下る谷と険しい崖となり自然地形を取り込んでいる。
台地郭面の標高は約20m、河川低地面は約9mで、高低差は約11mある。
郭の構造は東西約130m、南北約45~100mで東西に長い三角形状の縄張構成となり、
台地東端の先端部に三角状の主郭と台地西側の方形の副郭が連続して並ぶ。それぞれの郭は、土塁、横堀(空堀)、
切岸などの防御施設で取り囲まれ、虎口が2ヶ所設けられている。郭内の土塁の高さは2.5~3mある。
主郭と副郭の北西辺の土塁がとぎれないこと、南西隅に大規模な張り出し櫓があるところが特徴とされる。
城跡眼下の河川は分水嶺とされ、この南側一帯には、鎌倉・南北朝時代に「相馬御厨」という伊勢神宮の荘園が置かれ、「相馬文書」
によると千葉氏庶流の相馬氏が代々土地を伝領したことが知られ、
増尾字本郷には相馬氏の守護神とされる妙見堂跡や相馬氏の居館とされる幸谷城館跡などが点在する。
(現地説明板より)
現況・登城記・感想等
今日は天気がよければ、少し遠出をしようと思っていたが、朝からあいにくの曇り空。しかも午後からは雨模様とのことで、
近場の城跡でもちょっと行ってみるかと思い、あまり期待しない中での登城であったが、幸いにも予想がはずれた。
増尾城址は柏市の市街地にあるにも関わらず遺構がよく残っている。
駐車場の脇から城址への階段を少し上がると、いきなり正面に張り出し櫓があり、その周りが空堀になっている。
空堀を右側へ行くとすぐ虎口があり、入っていくと周りを高い(約2.5~3m位)土塁で囲まれたかなり広い副郭跡に出る。
この虎口を入ったときの副郭の光景が非常に印象的で、すっかり気に入ってしまった。
副郭の奥に、主郭へ入っていくもう一つの虎口があり、虎口手前の右側にはっきりと分かる空堀がある。この空堀は、
往時はもっと副郭の方へ食い込んでいたようである。主郭は副郭と較べるとかなり狭いが、ここも立派な土塁に囲まれている。
土塁に登って下を見ると、腰郭がよくわかる。また、南側の切岸(崖)も切り立っていて、結構、防御上優れているように思われる。
規模は小さいがなかなか見応えのある城跡であった。また、城址公園とはなっているが、余計な手を入れないでいるのも非常に良かった。
(2007/01/20登城して)
ギャラリー
増尾城の図(現地説明板より)
張り出し櫓
駐車場の脇から城址への階段を少し上がると、いきなり正面に張り出し櫓があり、その周り
(手前)が空堀になっている。案内板にしたがい空堀を右へ進む。
副郭への虎口
副郭への虎口は、
非常に簡単なものであった。
副郭 ~クリックにて拡大画面に~
虎口を入っていくと周りを高い(約2.
5~3m位)土塁で囲まれたかなり広い副郭跡に出た。この虎口を入ったときの副郭の光景が非常に印象的で、すっかり気に入ってしまった。
副郭の高い土塁 ~クリックにて拡大画面に~
副郭の高い土塁の中でも、
西側のこの土塁が一番高く見応えがある。
㊧副郭から主郭への虎口、
㊨主郭虎口手前右側の空堀
副郭の奥に、主郭へ入っていくもう一つの虎口があり、
虎口手前の右側にはっきりと分かる空堀がある。この空堀は、往時はもっと副郭の方へ食い込んでいたようである。
主郭
主郭は副郭と較べるとかなり狭いが、
ここも立派な土塁に囲まれている。
主郭周りの土塁(土塁の上から撮影)
㊧主郭北側下の腰郭、
㊨主郭東側下の腰郭
㊧張り出し櫓手前の空堀、
㊨副郭北西の空堀