千葉氏の一族、東葛飾の高城氏の城
別名
大谷口城・開花城
所在地
千葉県松戸市大谷口
形状
平山城
現況・遺構
現況:大谷口歴史公園・宅地
遺構:障子堀・畝堀・土塁・模擬金杉口門
満足度(10点満点)
3点
訪城日
2003/08/03
歴史等
小金城の規模は南北約600m、東西約800mに及ぶ県下最大級の中世城郭です。
下総台地西端の複雑な地形(高低差が約15m)を利用し、さらに大規模な土木工事を施すことによって高さ2~3mの土塁、
深さ10m前後の空掘を縦横にめぐらせ、台地上を比定し本城、中城、馬場など9~10の曲輪を連続させる構造となっています。
小金城主の高城氏は千葉氏の一族、または千葉氏から分かれた原氏の一族といわれ、
松戸での活動は15世紀中ごろに栗ヶ沢に砦を築いたのに始まり、その後勢力を増すごとに根木内城、
小金城と本拠地を移してきたといわれています。戦国時代の末には小金城を拠点として現在の松戸、市川、船橋、鎌ヶ谷、沼南、柏、
我孫子などを支配し、東葛飾地方最大、下総国有数の領主、武将となりました。天文7年(1538)小弓公方足利義明が国府台で北条に敗れたのちは北条氏に従うようになりました。
天正18年(1590)豊臣秀吉が小田原城を攻めたとき、
小金城も同城と運命を共にすることとなり、北条氏滅亡後は徳川家康の所領となりました。
『小金城跡案内板』より
現況・登城記・感想等
宅地の真ん中にあるわりには遺構が残っている方であると云えるのかな。北条氏の影響を受けた城らしく、障子堀・畝堀
(ほとんど埋まってしまっているが)を見ることができたのは良かった。
(2003/08/03登城後)
ギャラリー
曲輪跡と土塁

畝堀

