復元された土塁
幕末、沿岸警備のために加賀藩が設けた大筒台場13ヶ所のうちの一つ
所在地
富山県黒部市生地芦崎字下浦328
形状
台場
現状・遺構等
現状:公園
遺構等:復元門、復元大砲、復元土塁、碑、説明板
満足度
★☆☆☆☆
訪城日
2006/05/01
歴史等
江戸時代の後期、嘉永2年(1849)12月、幕府は諸大名に沿岸警備を厳重にするように命じた。翌嘉永3年(1850)8月、
加賀藩は領内海辺の13ヶ所に大筒台場を築造することを決定し、越中では、伏木(高岡市)、放生津(新湊市)、生地(黒部市)
の3ヶ所に設置した。
生地台場は、嘉永4年(1851)10月に着手し11月に完成した。工事記録によると土を運んで台場の原形を造り、この上に芝を張り、
まわりを杭、竹、なわで囲った。正面入口に小刀門を設け、台場の上部に5ヶ所の大砲を置く場所が造られ、船で大砲が運ばれてきた。
台場の長さ63m、幅8m、高さ2.5mあり、弧状の形をしている。
この台場は、幕末に造られた台場の上に、当時の設計図に基いて復元したものである。砂の下には台場の原形がそのままの形で保存されている。
(「黒部市観光協会ホームページhttp://www.niikawa.ne.jp/meisui/index.html」
、「現地説明板」参照)
現況・登城記・感想等
生地台場には、他の所を探していた時に、偶然見付けた。
今まで私は、「台場」については「城」としては見ていなかったが、広辞苑の「城」の説明として「敵を防ぐために築いた軍事的構造物」
となっている。この定義からすれば、「台場」も立派な「城」ということになる。というわけで、今回、この「生地台場」も掲載することにした。
生地台場は、日本海と富山湾のちょうど境目にある生地鼻の突端近くに造られ、大砲5門が備えられていたそうである。
今だから云えることかも知れないが、はっきり云ってこんなものが黒船相手に役に立つわけがないというのが感想である。しかし、
ただの建造物として見れば、長さ63mにもわたる土塁は、なかなか絵になるし、芸術的であるかもしれない。
土塁に登って、日本海の青い海原を見ていると気持ちがいい。
(2006/05/01訪れて)
ギャラリー
復元門
土塁の上から