武蔵 品川台場(品川区)

第三台場内を土塁上から

幕末、黒船を迎え撃つために江川太郎左衛門が設計・築造した

所在地

東京都品川区台場1丁目10番 他

形状

台場

現状・遺構等

現状:お台場海浜公園、市街地
遺構等:土塁、石垣、弾薬庫跡、船着場跡、陣屋跡、砲台跡(復元?)、かまど跡(復元?)、石碑、説明板

満足度

★★★☆☆

訪城日

2007/01/27

歴史等

嘉永6年(1853)6月3日、ペリー率いる4隻の黒船が、日本に開国を迫るために、浦賀(神奈川県横須賀市)に来航した。 日本は二百数十年間続いた太平の眠りが覚まされ、上を下への大騒ぎになった。幕府は国書の受け取りを拒絶しようとしたが、「砲鑑外交」 に屈し受理せざるを得なかった。
黒船は6月12日に江戸湾を離れたが、いかにして外国勢力の侵略に対処するかという議論が沸騰した。そして、幕府が採用したのが、 品川沖から深川沖にかけて11ケ所の台場を築造するという伊豆韮山の代官・江川太郎左衛門の案であった。 台場築造工事と設計と監督も江川自身があたっている。
築造開始はペリー来航の翌々月の8月のことであったが、翌7年(1854)12月には、第一、第二、第三、第五、第六台場が完成している。 しかし、資金不足により、第四・第七台場の工事中に中断を余儀なくされた。なかでも第七は海面を埋め立てただけであった。他に陸続きの台場 「御殿山下砲台」 が造られた。
品川沖から高輪沖にかけて6ヶ所の台場が築かれ、大小260門の大砲が据え置かれたのである。幸い、 現実的には台場は大砲が使用されることも無く無用の長物となった。
明治維新後の品川台場は、明治6年(1873)に第一師団の中に設けられた海岸砲隊が管理にあたり、同8年(1875)から大正3年 (1914)までは陸軍省が管轄していた。第四台場は維新後に払い下げられ、大正元年(1912) には東京府から緒明菊三郎に払い下げられて造船所となった。陸軍省によって管理されていた品川台場は、大正3年(1914)、4年 (1915)の二回にわたって処分され、第三、第六台場は大正4年(1915)7月4日に東京市に払い下げられ、同13年(1924) に東京府によって史跡に仮指定され、同15年(1926)10月20日に史跡名勝天然紀念物保存法によって国の史跡に指定された。 このうち第三台場は、関東大震災によって破壊されたため復旧工事が行われ、台場公園として一般に公開されているが、 第六台場は原型を残していたため、貴重な史跡として保存されている。
その後、東京湾に浮かぶこれら六つの人工島は、史跡として指定された二つの台場を残し、埋立地に埋没したり、 航路の支障になるということで撤去されたりしてきた。第四台場は、大正14年(1925)に埋め立てがはじまった旧天王洲町(東品川二丁目) の北側につながって陸続きとなり、昭和30年(1955)に港区から品川区に編入されている。第一、 第五台場は品川埠頭の埋め立てで昭和37年(1962)に撤去埋没した。第二台場は東京港整備の一環として、 昭和37年末に海上からその姿を消した。
第三台場は、周囲には、海面から五~七メートルの石垣積みの土手が築かれ、黒松が植えられている。また内側の平坦なくぼ地には、陣屋、 弾薬庫跡などがある。
『「日本の名城・古城もの知り事典(主婦と生活社刊)」、「現地説明板」、「サイト・文化財・明治維新後の品川」参照」』

現況・登城記・感想等

お台場はすぐ近くで、しかもレインボーブリッジもマンションのベランダ越しに毎日見ている風景である。しかし何故か、 品川台場跡には行った事がなかった。今日は、1月末にも拘らず、朝から小春日和で暖かく、昨年、近くまで開通した「ゆりかもめ」 に乗って出掛けて見た。
「ゆりかもめ」に乗っていても、お台場付近にくると、ユニークな建物が次々と現れ結構楽しい。
お台場海浜公園駅で降り、海岸の砂浜に出ると、正面に第三台場、その左奥に第六台場が見える。 そしてそれらの奥上にはレインボーブリッジと高層ビル群が見える。 江戸時代とこの平成の時代の築造物の対比の妙が何とも云えず嬉しくなってくる。
第三台場は、かなり高くて幅の広い土塁で囲まれており、土塁上から見る台場はなかなかのものである。第三台場には、5つの弾薬庫跡、陣屋跡、 船着場跡、復元?された砲台や釜戸跡がある。船着場の近くには石碑が建っている。 船着場跡のところの海水が東京湾とは思われないほど澄んでいてきれいなのには驚いた。
次に、レインボーブリッジのサウスルートの遊歩道を芝浦方面まで渡った。レインボーブリッジの遊歩道は約1.7kmあるそうである。
レインボーブリッジから見下ろす第三・第六台場とその向こうに見えるお台場のフジテレビ等々のビル群、また、 次々に通る船の光景はなかなか楽しいものがある。尤も、レインボーブリッジの遊歩道は海面からの高さが52.4mあるそうで、 また結構揺れるし、高所恐怖症の人にはちょっと遠慮した方がいいかもしれない。私も寄る年波のせいか、少し高所が苦手になってきており、 写真を撮る時など、時々気になった。
(2007/01/27訪れて)

ギャラリー

品川台場(第三台場)の図   ~クリックにて拡大画面に~

お台場とレインボーブリッジ
ゆりかもめのお台場海浜公園駅を降りて、 海岸の砂浜に出ると、正面に第三台場、その左奥に第六台場が見える。そしてそれらの奥上にはレインボーブリッジと高層ビル群が見える。 江戸時代とこの平成の時代の築造物の対比の妙が何とも云えず嬉しくなってくる。


第三台場南東部の石垣

土塁(東隅) 上からの第三台場全景(正面に陣屋跡、左奥にかまど跡が見える)
第三台場は、かなり高くて幅の広い土塁で囲まれており、土塁上から見る台場はなかなかのものである。


土塁(南隅) 上からの第三台場全景とレインボーブリッジ

㊧弾薬庫跡、  ㊨陣屋跡
 

㊧復元砲台跡、  ㊨復元かまど跡
 

船着場跡 (第三台場北隅に)
海水が東京湾とは思われないほど澄んでいてきれいなのには驚いた。
 

品川台場石碑 (第三台場北隅の土塁上に建つ)

第三台場から第六台場を    ~クリックにて拡大画面に~
わずかな時間にも、多くの船が行き来する。

【レインボーブリッジからの光景】
①第三台場
(右奥のビルはフジテレビ) ~クリックにて拡大画面に~

②第三台場            ~クリックにて拡大画面に~

③第六台場            ~クリックにて拡大画面に~
大正15年(1926)10月20日に史跡名勝天然紀念物保存法によって国の史跡に指定された。第三台場は、 関東大震災によって破壊されたため復旧工事が行われ、台場公園として一般に公開されているが、第六台場は原型を残していたため、 貴重な史跡として保存のため、立ち入り禁止になっている。

④第六台場と第三台場     ~クリックにて拡大画面に~
正面手前の島は第六台場、左側に一部見える島は第三台場

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