今川氏の遠江侵攻への拠点として、在地領主久野宗隆が築城した城
別名
座王城
所在地
静岡県袋井市鷲巣
形状
平山城(標高34m)
現状・遺構
現状:山林等
遺構:曲輪、土塁、空堀、井戸、案内板
満足度(10点満点)
3点
訪城日
2007/05/27
歴史等
久野城は、駿河に本拠を持っていた今川氏が遠江へ侵攻するための拠点として、当地域の在地領主・久野宗隆によって明応年間
(1492~1501)頃に築城されたと考えられている。
宗隆は今川氏に属し、多くの戦功を立てたが、孫宗能は永禄11年(1568)徳川家康の旗下に入り、城主となって、掛川城・
高天神城攻撃や小牧長久手の戦いなどに戦功を立てている。
天正18年(1590)家康の関東転封に伴い宗能は下総佐倉に移封され、
代って松下之綱が丹波より入って城主となった。その後、松下重綱、久野宗能(再任)・久野宗成・北条氏重に至るまで、8代、
約150年間の居城であったが、正保元年(1644)廃城となった。
『現地案内板より』
現況・登城記・感想等
5月末の草木の最も元気な季節で、城址は草茫々。おまけに、駐車場に居た地元の人の話によると、マムシがいるとのこと、
とてもじゃないが、本丸までは入っていけなかった。
それでも取り敢えず、割合い草の短い北の丸まで登ってみた。そこからは、三の丸や西の丸など、
それぞれ空堀に区切られた曲輪の感じがよく分かった。
また、城の周りが水堀(沼?)で囲まれていた面影もよく残っている。
(2007/05/27登城して)
ギャラリー
久野城全景(この方角から見ると、各曲輪の段々がよく分かる)
北堀(城の周りが水堀で囲まれていた面影がよく残っている)
土塁と空堀
草茫々だったが、取り敢えず北の丸まではと、左手にこの風景を見ながら登城。右の空堀の上が本丸方向。
北の丸(取り敢えず、ここまで登った。)
西の丸(北の丸から少し離れた下段に西の丸が見える。)
三の丸
空堀の向こうが三の丸。左側の森が本丸。しかし、強烈な藪!! 断念するしかない!蝮は怖い!