伊勢 四日市陣屋(四日市市)

中部西小学校の校門脇に設置された説明板

天領四日市の代官所

別名

四日市代官所

所在地

三重県四日市市北町(中部西小学校)

形状

陣屋

現状・遺構等

現状:四日市市立中部西小学校
遺構等:説明板

満足度

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訪城日

2007/05/04

歴史等

四日市は、江戸時代、享保9年(1724)~享和元年(1801)の大和郡山藩領時代を除き、天領(幕府領)であった。便宜上、 享保9年以前を第一次天領時代、享和元年以降を第二次天領時代という。慶長8年(1603)幕臣水谷九左衛門光勝が代官所を築き、 幕府支配の拠点とし、江戸時代を通じ、この地を移動することはなかった。
第一次天領時代は、九左衛門を初代として24代の代官が任命されている。大和郡山藩領時代にも、 やはり付近の藩領を支配するためここに代官が派遣された。第二次天領時代になると、近江信楽代官多羅尾氏の支配を受けて、 出張陣屋が置かれた。多羅尾氏は1500石の旗本で、代々信楽代官を勤めたが、四日市陣屋へは手付・手代を派遣して支配に当たらせた。
なお、陣屋の建物は明治維新後、度会県支所。安濃津県支所、さらに三重県庁となったが、明治9年(1876)の伊勢暴動の際に全て焼失した。   平成13年10月   
『現地説明板より』

現況・登城記・感想等

中部西小学校の校門前(横)に、石碑と説明板があるのみで、遺構といえるものは全くない。
なお平成11年、小学校の改築に伴い、発掘調査が行われたそうである。堀の遺構から、橋脚・土留めの杭、横板などが出たとのこと。また他に、 遺物としては、徳利・皿・壷・茶碗・湯呑み・すり鉢・行平鍋・灯明皿・油さしなど陶磁器を中心に、お椀・下駄。独楽・櫛、そして入れ歯 (木床義歯)などの木製品などが出てきたそうである。あと、珍しいところでは、和船模型が発見されたとのことである。 (2007/05/04訪れて)
「サイト:四日市の史跡・四日市代官所http://www006.upp.so-net.ne.jp/tsuji/jinya.html」 参照

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