城跡(頭陀寺第一公園)に立つ「松下嘉平次屋敷跡」の碑
木下藤吉郎(後の豊臣秀吉)が仕えた松下嘉平次の屋敷
別名
松下屋敷、松下嘉平次屋敷
所在地
静岡県浜松市南区頭陀寺町(第一公園)
形状
平城
現状・遺構等
現状:頭陀寺第一公園
遺構:石碑、案内板
満足度
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訪城日
2007/05/27
歴史等
頭陀寺城(ずだじじょう)には永禄・元亀の頃、松下嘉平治之網代々が浜松城
(曳馬城)主の旗下としてここに居住していた。その後、之網は石見守に叙位・任官し、さらに、その後久野城主(袋井市)となった。
また、天文9年(1540)の頃、木下藤吉郎(後の豊臣秀吉)が尾張の国から来て、松下嘉平治に仕えていたという。
松下嘉兵衛の子・重綱は、のちに久野(袋井市)、
烏山
(栃木県)、二本松
(福島県)の城主になり、その子長綱は、同じ福島県の三春城3万石の城主になった。
『「現地案内板」、「久野城址案内板」、「大名の日本地図(中嶋繁雄著(文春新書刊)」参照』
現況・登城記・感想等
今では、浜松市の住宅地の真ん中に「頭陀寺第一公園」という小公園の土塁跡らしき上に石碑が残るだけである。
しかし、当時の屋敷跡を現在の地図に置き換えたものが案内板に書かれているが、屋敷の周りは水堀で囲まれ、
その規模もなかなかのものであったのがよく分かる。
遺構は何も残っていないに等しいが、日吉丸(秀吉)がここに居たことがあるのかと思うと、ちょっとした感慨?がある。
それにしても、「あまりにも古くて汚い案内板」何とかならないのか?
(2007/05/27訪れて)
ギャラリー
頭陀寺城址(頭陀寺第一公園)
ありし日の頭陀寺城(現地説明板より)
~クリックにて拡大画面に~
当時の屋敷跡を現在の地図に置き換えてみると、
屋敷の周りは水堀で囲まれ、その規模もなかなかのものであったのがよく分かる。
それにしても、この汚い案内板何とかならない??