伊予 荏原城(松山市)

郭とその周囲をめぐる土塁

伊予の豪族河野氏18将の首位であった平岡氏代々の居城

所在地

愛媛県松山市恵原町
【行き方】
私も迷いに迷って・・・(汗)。説明ができないので、恵原町に入ったら地元の方に聞くのが一番!?スミマセン。

形状

平城

現状・遺構等

現状:畑地
遺構等:曲輪、土塁、水堀、石碑、説明板

満足度

★★☆☆☆

訪城日

2007/05/01

歴史等

この城跡は、室町時代から戦国期、伊予の豪族河野家18将の首位であった平岡氏代々の居城跡である。
高さ五メートルほどの土塁を周囲に築き、方形の平地で、長さは約東西130m、南北120m、堀の幅は北側20m、西と東は14m、 南は10mで、南側で外とつながっている。四隅に櫓があったらしく西南の隅に石積みがある。矢竹が植えられているのは、 この期の城塁に共通する特色である。
建武2年(1335)、怱那氏が「会原城」で戦ったという記録が『怱那一族軍忠次第』にあり、築城は、それ以前である。 土佐からの侵入を防ぐ拠点であったが、天正13年(1585)平岡通倚の時、秀吉の四国統一により、道後湯築城とともに落城した。
『現地案内板より』

現況・登城記・感想等

いやあ~! 探すのが大変でした。場所が分からなくて、道には迷うは、狭いは、曲がりくねっているは、 おまけにこんな狭い道をバスが通っていて・・・! 偶然、水堀の所に出てラッキーでした。
城は、単純な単郭方形式の城で、周囲に高さ4~5mほどの土塁と満々と水を湛えた水堀が巡らされており、城内は畑になっていた。
土塁の上を歩いて廻ったら、各隅が他より少し高くて広い。案内板にあるように4隅には櫓があったように思える。ただ、 石積みには気が付かなかった。また一部、土塁が切れている所があったが、ここも虎口になっていたのかなあなどと考えながら歩いて廻った。
南側の虎口の所からのみ入城できるが、その前の家が「平岡さん」というお宅だったが、関係あるのかなあ?尋ねてみようかと思ったが、 胡散臭く思われるのも嫌だから止めておいた。(2007/05/01登城して)

ギャラリー

南側虎口の土塁上に建つ、石碑と案内板


城は、単純な単郭方形式で、周囲を土塁と水堀がめぐらされている。館といった方が良いだろう。

土塁
土塁は高さ4~5mほどある結構大規模で、各隅は説明板にあるように櫓があったようで、 他の部分より少し高くて広い。

土塁の上を
土塁は上部幅3~4mあり、土塁の上を歩いて廻ることができる。

北側の水堀
北側と西側の水堀は、特に水を満々と湛えている。

西側の水堀

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