磐城 棚倉城(棚倉町)

築城の名手丹羽長重が築いた土塁の近世城郭

別名

亀ケ城

所在地

東白川郡棚倉町棚倉字城跡

形状

平城

現状・遺構

現状:公園、市街地
遺構等:曲輪、土塁、水堀、石碑、説明板

満足度(10点満点)

6点

訪城日

2007/07/28

歴史等

慶長5年の関ヶ原合戦で西軍に与した立花宗茂が、柳河13万2千石を没収となり、 慶長8年(1603)1万石を与えられて棚倉藩が立藩し赤館に入城した。その後宗茂は、元和6年(1620)旧領柳河へ復帰し、 そのあとへ元和8年(1622)丹羽長重が常陸古渡から5万石を領して棚倉に入封した。
長重は、当初赤館に入城したが、2代将軍徳川秀忠の命により、寛永2年(1625)より新城(棚倉城)の築城をはじめた。
寛永4年(1627)長重は白河へ移され、 その後は、内藤氏、太田氏、(越智)松平氏、小笠原氏、井上氏、(松井)松平氏と頻繁に代り、慶応2年(1866)白河より阿部正静が10万石で入封した。
城は戊辰戦争の兵火にかかり、慶応4年(1868)6月24日落城した。
『「大名の日本地図・中嶋繁雄著(文春新書刊)」、「現地説明板」参照』

現況・登城記・感想等

棚倉城址の魅力は、何と言っても本丸の周囲を一周している土塁と水堀であろう。
土塁の高さは5~6mはあるであろう。まずは土塁の上に登って一周したが、土塁の幅の広いのに驚いた。 これほど大規模な土塁の上を散策するのは初めてである。土塁から水堀を見下ろすと、土塁の下の方にも犬走り、 或いは犬走りのような狭い道ができている。その道も土塁上と同様、散策路になっており、後ほど散策してみた。
次に、水堀の外を一周してみた。水堀の幅は40m近くもあるであろうか。満々と水を湛えた姿が、高い土塁と相俟って、 何とも言えず風情があり、藤沢周平の世界に紛れ込んだような気になる。
(2007/07/28登城して)

ギャラリー

棚倉城絵図    ~クリックにて拡大画面に~

追手枡形門跡

北二門・櫓門跡

本丸跡に建つ城郭風の公民館

本丸とその周囲の土塁(土塁の高さは5~6mはあるであろう)

土塁上
土塁の幅の広いのに驚いた。これほど大規模な土塁の上を散策するのは初めてである。

土塁下の犬走りのような散策路
土塁の下の方にも犬走り、或いは犬走りのような狭い道ができている。その道も土塁上と同様、 散策路になっており散策してみた。

本丸周りを巡る水堀①
水堀の幅は40m近くもあるであろうか。満々と水を湛えた姿が、高い土塁と相俟って、 何とも言えず風情があり、藤沢周平の世界に紛れ込んだような気になる。


本丸周りを巡る水堀②

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