磐城 白河関(白河市)

白河関跡に祀られた白河神社への入口

関東・東北の交通の要衝を取り締まる関所、後に平山城が築城された

別名

関ノ森城(白河関跡比定地の当地に室町~戦国時代にあったとされる平山城)

所在地

白河市旗宿字関ノ森

形状

関所(平山城)

現状・遺構

【現状】白河神社、山林
【遺構等】曲輪、土塁、空堀、石碑、説明板

満足度

★★☆☆☆

訪城日

2007/07/28
2008/11/26

歴史等

白河の関は、古くよりみちのくの関門として歴史にその名を刻みまた文学の世界では歌枕として数多くの古歌に詠まれた場所である。
関の位置については久しく不明であったが、江戸時代中期、時の白河藩主松平定信の考証により、この地が、白河の関であると推定され、寛政12年(1800)に「古関跡」の碑が建てられ今日に至っている。
関が置かれた年代については不明であるが、延暦18年(799)、承和2年(835)の太政官符には「白河剗」の名が認められることや歴史的な背景からみて、大化の改新以後の7~8世紀頃には存在していたものと考えられる。
昭和34年から38年までに実施された発掘調査では、竪穴住居跡や堀立柱建物跡、空堀、土塁、棚列などの古代から中世にいたる遺構が発見され、縄文土器、土師器、須恵器、鉄製品などの遺物が出土している。出土した土師器の中には、「門、大室、□舟」などの墨書土器がみられる。
白河関の全体像についてはまだ未解明な点もあるが、現在も奥州三関の一つとして多くの人に親しまれ、歴史のひとこまに触れることができる場となっている。
『現地説明板より』

尚、この白河関の比定地は、最初は縄文集落が、奈良時代~平安時代には関東から東北への入口の交通要所として人や物資の往来を取り締まっていた軍事色の強い施設(関所・白河関)が、そして室町~戦国時代にかけては中世の城館(関ノ森城)が営まれていたと考えられる。
関ノ森城は、築城時期や城主等々、全て不詳であるが、当地は下野国那須氏との境目に近く、白河結城氏が奥州街道の要衝を抑える軍事戦略上から築いた城館(関ノ森城)とも推測されるが、これも定かではない。

現況・登城記・感想等

現在残る遺構は、白河関跡は関所というよりも室町~戦国時代にかけての関ノ森城跡といった方が相応しいだろう。
それは比高差20mほどの独立丘の頂部に鎮座する白河神社のすぐ横(南側)に方形状の曲輪跡?があり、その周囲に土塁と空堀がめぐらされ、他にもこの丘の至る所に土塁が巡っているようであることが象徴しているのではないだろうか。
その遺構は、60m平方mほどの方形の曲輪跡があり、その周囲には曲輪内からの高さ2m、上部幅3mほどの分厚い土塁が取り囲み、さらに土塁周囲には深さ3~4m、幅5~6mほどの空堀がめぐらされている。
中でも東側の土塁は明瞭な折れが見られ、かっこいい。
尚、白河関に関連する案内は多いが、関ノ森城に関するものが全くないのが残念だ。
(2007/07/28訪れて)

ギャラリー

白河の関の絵図(現地案内板より)
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白河関跡の発掘調査について
当地が古代の白河の関跡であることを実証するために昭和34年から5年かけてA・B・Cの3地区に分けて発掘調査がされた結果、各地区から多くの遺構・遺物の存在が明らかになった。
A地区:空堀と土塁に囲まれた平坦地を中心に調査され、奈良・平安時代頃の土器が出土した。
B地区:白河神社裏の平坦地を中心に調査が行われ、竪穴住居跡・鍛冶跡・柵列が確認された。遺物は墨書土器や鉄製品が多く発見された。
C地区:遺跡の北側斜面を中心に調査され、柵列跡・門跡の可能性が考えられる柱穴が確認された。
この今回の調査で発見された遺構・遺物の特徴や遺跡の立地条件を考察した結果、当地が古代遺跡の条件に適うことが明らかにされ、昭和41年に「白河関跡」として国の史跡に指定された。(現地説明板より)

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白河神社への階段
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白河神社
この神社のすぐ横(南側、写真右側)に、空堀・土塁等の多くの遺構がある
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古関蹟の碑
白河藩主松平定信が寛政12年(1800)8月、ここが白河関であることを断定し、建立した碑である。
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幌掛の楓(かえで)
源義家が安部貞任攻め(前九年の役)の為、白河関を通過する時、この楓の幌をかけて休息したと伝える。しかし、定信がここを白河関であると断定したのが、1800年であるのに、何故それよりもはるか昔に幌を掛けた楓が特定できるんだ? それにこの楓の木、そんなに昔のものとは思えないほど小さいぜ!!
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【白河神社東側の遺構】
土橋
土橋の両側は結構深い空堀がある。中央やや左は土塁。
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土橋両側の空堀
最初にこの空堀が見つかった時は、ここまではっきりと残っているとは思わなかっただけに感激した。
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曲輪跡
この曲輪の周囲をめぐる土塁も見所の一つである
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本丸を取り囲む土塁上にて
本丸を取り囲む土塁は、曲輪内からでも高さ2mほどあり、上部幅も分厚く3m近くある頑丈なもので見応えがある。
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東側の折りのある土塁と空堀 
土塁周囲には深さ3~4m、幅5~6mほどの空堀がめぐらされているが、特に東側の守りが厳重で、堀の外側にも土塁が築かれて横堀を形成し、明瞭な折れも見られる。
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