田んぼの真ん中に建つ城址碑と説明板
上杉謙信の武将河田長親が一向一揆に備えて築いた城
所在地
富山県富山市太田南町
国指定重要文化財「浮田家住宅」の北約200mに石碑と説明板
形状
平城
現状・遺構等
現状:田園、住宅等
遺構等:石碑、説明板
満足度
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訪城日
2007/06/09
歴史等
この城は、安土桃山時代、上杉謙信の武将河田長親が一向一揆に備え、元亀3年(1572)ここに陣をはり、翌年「向城」
を築いたとの記録があり、これが城の始まりと思われる。
天正6年(1578)、織田信長の武将斎藤新五らは飛騨方面から攻め込み、河田長親らが撤退した後ここを居城とした。
そして北西3kmの今泉城にいる河田長親・椎名小四郎らの上杉勢を攻め、勝利したという。
城の位置については、ほ場整理のときに建てられた記念碑周辺と考えられていた。平成3年の発掘調査で、ここから東に延びる堀跡が発見され、
その中から安土桃山時代の土器が数多く出土したことから、この堀跡が城の一部であると推定される。
付近には斎藤新五のゆかりの地がいくつか残されている。城跡の一角にある円光寺は斎藤新五の菩提寺として伝えられ、また、
新五の娘の病をなおした霊泉と伝えられる的場の清水がある。
『現地説明板より』
現況・登城記・感想等
田んぼの真ん中に城址碑と説明板が建っているだけ。
ギャラリー
浮田家住宅表門(重要文化財)
加賀藩の役宅として、江戸時代中期の豪農の建築様式を残した建物で、主家・土蔵・表門が重要文化財に指定されている。