赤松氏発祥の地
所在地
兵庫県佐用郡作用町横坂
形状
山城
現状・遺構
現状:ふれあいの里公園(山林)
遺構等:曲輪、土塁、石垣、空堀、説明板
満足度(10点満点)
5点
訪城日
2007/11/15
歴史等
高山(こうやま)は沖田平野の北端にあり、横坂遺跡、本位田遺跡、佐用郡比売の杜、大撫山、長尾遺跡、円応寺遺跡等々が一望できる。
尾根伝い北東四キロに奈良時代の創始という高伏山長谷寺があり、高山はその参道の入り口として鐘搗堂(かねつきどう)があったと伝えられる。
又、建久年間(1190~99)に作用荘地頭となった山田則景は隠居後、ここに高山(こうやまじょう)を築いて住み、末子家範が生まれ、
それがのち作用荘南端の赤松に移り住み赤松姓を名乗った。
ここは赤松氏発祥の地と言われ、城跡は今も千畳敷と呼ばれている。
『現地説明板より』
現況・登城記・感想等
高速道路下の小さなトンネルを潜りぬけた所に駐車場があるが、門扉が閉まっていて最初戸惑ったが、獣害防止柵とのことで、
開けて入ることが出来る。
登城道は、石がゴロゴロ転がっている。5分程登ると、土橋を通り鐘搗堂(かねつきどう)へ出る。ここからの見晴らしはよく、
眼下に中国自動車道も見える。
そこから更に10分ほど登ると、それ程大きくない7段の段曲輪を通り本丸へたどり着く。
本丸に建つ説明板を見てビックリ!何と、ここは赤松氏の発祥の地とのことである。何か嬉しくなってくる。
本丸の南下には僅かながら石垣が確認できる。本丸から北西の方に利神城が望める。
利神城のように木々に遮られず石垣がはっきりわかる山城はやっぱり素晴らしいと感激!
さらに北側の千畳敷へと向かったが、ちょっと時間が足りず、途中で断念して戻った。
(2007/11/15登城して)
ギャラリー
高速道路下トンネルに門扉が
高速道路下の小さなトンネルを潜りぬけた所に駐車場があるが、門扉が閉まっていて最初戸惑ったが、
獣害防止柵とのことで、開けて入ることが出来る。
登城口(ふれあいの里の遊歩道になって、よく整備されている)
登城道は石がゴロゴロ
鐘搗堂(かねつきどう)と土橋
奈良時代、僧行基が諸国修行の途次、この地に来て尾根伝い北東四キロ、
奥金近の高伏山に草庵を営んだと伝えられ、これが長谷寺の始まりで、最盛期には七堂伽藍が建ち並び、
その参道の入り口としてここに鐘搗堂があったと言われる。
鐘搗堂からの眺望(眼下には中国自動車道が)
段曲輪
鐘搗堂10分ほど登ると、それ程大きくない7段の段曲輪を通り本丸へたどり着く。
本丸(写真奥中央に見える山は利神城)
本丸から利神城を臨む ~クリックにて拡大画面に~
本丸から北西の方に利神城が望める。利神城のように木々に遮られず石垣がはっきりわかる山城はやっぱり素晴らしいと感激!
本丸南側の石垣(本丸の南下には僅かながら石垣が確認できる)