播磨 英賀城(姫路市)

英賀神社裏の土塁と石碑

赤松氏一族の城、嘉吉の乱後は秀吉に滅ぼされるまで三木氏が140年間支配

別名

岩繋城

所在地

兵庫県姫路市飾磨区英賀宮町2丁目(英賀神社・英賀城跡公園)

形状

平城

現状・遺構等

現状:英賀神社、英賀城跡公園、住宅地
遺構等:土塁、石碑、説明板

満足度

★☆☆☆☆

訪城日

2007/11/14

歴史等

英賀城(あがじょう)は、南は海、西は夢前川、東は水尾川に面し北は湿地帯で、防御上非常に恵まれた地にあり、戦国時代に播磨三大城 (三木城御着城・ 英賀城)に数えられた。
鎌倉時代には砦が築かれていたが、室町時代になると播磨の守護大名赤松氏の一族が守った。
しかし「*嘉吉の乱(1441)」によって勢力を失った後、 三木氏が城主となり城をさらに整えた。
天正8年(1580)秀吉に滅ぼされるまで約140年間三木氏は的形から室津の間を中心にその周辺を支配し一大勢力を誇っていた。
『現地説明板参照』

【*嘉吉の乱】

赤松氏は円心(則村)に至って、足利尊氏のもと播磨・備前・美作3国の守護を兼ねて大いに家名を上げた。しかし、嘉吉元年(1441) 6月24日、円心から3代後の満祐が6代将軍義教を謀殺するという嘉吉の乱を起こした。播磨龍野の奥の亀の山城(城山城・きのやまじょう) に立て籠もった満祐は強大な幕府軍を迎え、一族と共に戦死した。

現況・登城記・感想等

かつては播磨3大城に数えられた英賀城も、今では住宅地の中に埋もれてしまっており、英賀神社の裏に土塁が僅かに残るのみである。
神社横に「播磨灘物語(司馬遼太郎)」の石碑を見つけた。昔読んだ黒田官兵衛を主人公にした「播磨灘物語」を思い出し嬉しかった。
司馬遼太郎氏は祖父惣八の代までは飾西郡広村(現姫路市広畑区)の中型百姓で、さらに先祖をたどると、 羽柴秀吉によって滅ぼされた英賀城の武士団の一家宇野氏で、英賀城の落城後に広村に土着、明治以降は福田姓を名乗り、 祖父の代に大阪に出たそうだ。
(2007/11/14登城して)

ギャラリー

英賀神社裏に僅かに残る土塁

「播磨灘物語(司馬遼太郎)」の碑

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