主郭への櫓門と堀底道
村上氏一族山田氏の城、川中島合戦では上杉・武田氏の争奪戦が
所在地
長野県千曲市上山田温泉(城山史跡公園)
形状
山城
現状・遺構等
現状:城山史跡公園
遺構等:【再現】館、兵舎、物見櫓、櫓門、冠木門、石垣
石碑、説明板他
満足度
★★★☆☆
訪城日
2007/10/28
歴史等
荒砥城は、大永4年(1524)頃村上氏の一族・山田氏によって築かれた。
千曲川の対岸の山頂に築かれた葛尾城の城主村上義清は、
北信濃に侵出してきた武田信玄に対抗し、天文17年(1548)の「上田原の戦」や天文19年(1550)の「戸石城の戦」
に勝ち、領土を守ってきた。しかし、天文20年(1551)5月26日、信玄の重臣真田幸隆の急襲により戸石城が落城し、
荒砥城主山田国政も戦死した。
天文22年(1552)信玄は攻勢に転じ、4月9日、葛尾城を攻め自落に追い込んだ。
義清は葛尾城を棄てて逃亡し、
越後春日山城の長尾景虎(後の上杉謙信)を頼り、山田氏は滅亡した。
同年8月、屋代氏が信玄より雨宮の代替地として荒砥を与えられ、屋代城から荒砥城へ移った。
その後、「川中島の戦(1553~1564)」を経て、上杉氏の治める城となった。天正10年(1582)8月、上杉景勝は山浦(村上)
景国を海津城将に、
屋代秀正を副将に任命した。
同12年(1584)4月秀正は家康に内通して上杉方に背き、海津城を出て荒砥城に籠ったが、
上杉軍に攻められ荒砥城は落城して廃城となった。
屋代秀正はその後、徳川家の重臣となった。
『「荒砥城二の郭再現兵舎内展示物」、「パンフレット」参照』
現況・登城記・感想等
荒砥城を戸倉上山田温泉街から見上げると、物見櫓がよく見え、町の名所になっているのが窺える。
現在主郭には館・兵舎、二の郭には物見櫓・兵舎が、また他にも櫓門・石垣・逆茂木などが再現されている。二の郭兵舎は映像、
展示室になっていて、荒砥城の歴史などが案内されている。
しかし、残念ながら遺構は削平等によりほとんど分からなくなっているようである。
中世山城の状況や雰囲気をそのままに、多くの建造物が建てられていて、それなりに楽しめるせいか、観光客も結構訪れていた。やはり、
こういったテーマパークのようにしないと観光客を呼び寄せることが出来ないのかも。それでも、
ありもしなかった模擬天守閣を建てられるよりはいいかも。
しかし私は、山城は発掘はしても遺構は変形しないで保存して欲しいと思う。また、同じ再現するにしても遺構と上手く共存して欲しいと思う。
遺構はともかく、物見櫓や主郭からの眺望は実に素晴らしく、北アルプスをはじめとする山並み、
眼下には曲がりくねった千曲川とその両側に上山田温泉街、また遠く上田市方面・長野市方面の町並みが望めるだけでなく、
周りに築かれた多くの山城の位置がよく分かる。これだけの眺望は、信州に多くの山城ありといえども、他にはちょっと無いのではと思う。
(2007/10/28登城して)
ギャラリー
城山史跡公園の図(現地案内板より)
荒砥城と城野腰のしくみ(二の郭兵舎内展示物より) ~クリックにて拡大画面に~
平時は直下の城野腰の二の入館を中心に生活し、戦時は荒砥城に籠った。
図で見ると荒砥城は中世の典型的な連格式山城であったのが分かる。
荒砥城址遠景(上山田温泉城山通りより撮影)
戸倉上山田温泉街から見上げると、物見櫓がよく見え、町の名所になっているのが窺える。
史跡公園への入口
四の郭手前が管理棟兼料金所(写真奥の建物)になっており、冠木門が建つ。右手前はトイレ。
㊧二の郭虎口の櫓門、 ㊨二の郭に建つ物見櫓
櫓門を入ると右へ曲がる堀底状の喰違い道になっている。櫓門の上にも上がれる。勿論、物見櫓にも。
二の郭の兵舎(手前下)と主郭(奥上)
二の郭兵舎は映像、展示室になっていて、荒砥城の歴史、周辺の観光などが案内されている。
大河ドラマ「風林火山」のロケの写真(兵舎内展示より)
2007年度NHK大河ドラマ「風林火山」のロケが2006年12月に行われた。撮影内容は信玄の初陣
「海ノ口城の戦い」のシーンで、ここを海ノ口城として撮影されたそうである。
二の郭から主郭への登城道
冠木門をくぐり、奥に見える櫓門をくぐり、右に鋭角に曲がり登城する。
主郭への堀底状の道
二の郭への虎口と同様、櫓門をくぐると鋭角に右へ曲がる喰違い道になっており、
堀底状の道を登って主郭へと出る。
主郭
主郭には、城主の館(奥)と兵舎(右)が建っている。
主郭から二の郭の物見櫓と兵舎
荒砥城からの眺望(上田方面) ~クリックにて拡大画面に~
遺構はともかく、物見櫓や主郭からの眺望は実に素晴らしく、北アルプスをはじめとする山並み、
眼下には曲がりくねった千曲川とその両側に上山田温泉街、また遠く上田市方面・長野市方面の町並みが望めるだけでなく、
周りに築かれた多くの山城の位置がよく分かる。これだけの眺望は、信州に多くの山城ありといえども、他にはちょっと無いのではと思う。