現存物見櫓(奥は復元中御門)
宗家津山藩森家が改易となり分家の長俊が移封立藩して築いた陣屋
別名
乃井野陣屋
所在地
兵庫県佐用郡佐用町乃井野
形状
陣屋
現状・遺構等
遺構等:物見櫓、復元門、移築門、石垣、堀
満足度
★★☆☆☆
訪城日
2007/11/15
歴史等
津山藩森長武は延宝4年(1676)、弟長俊に美作勝山郡内に1万5千石を分与した。
元禄10年(1697)宗家津山藩主森家が改易となったので、
長俊は改めて領地を播磨国作用・揖西・宍粟3郡内に移され、乃井野に陣屋を構えて立藩した。以後森家は9代続き、俊滋の時、
明治維新を迎えている。
明治4年(1871)の廃藩置県により、藩庁としての役目を終え解体された。その中で物見櫓と長屋は小学校に移築され、さらに明治44年
(1911)町役場として移築使用されていた。
平成15年(2003)元の位置に戻されて整備された。
『「現地説明板」、「藩と城下町の事典(東京堂出版刊)」、「フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』」より』
現況・登城記・感想等
三日月陣屋は石垣や堀等が発掘され、4年ほど前に、移築されていた物見櫓がもとの場所に戻され、中御門、通用御門、
長屋などが再建された。
中にも入れるようだが、今日は休館(?)日で入れなかった。門の裏側はまだ整備中のようで空地になっていた。周りの農地にも、
往時の石垣らしきものが見えるが、まだこれから整備・復元が進むのであろうか?
石垣等の発掘だけでなく、こんな所に、これだけのものを復元・再建して採算は取れるのであろうかなどと考えるのは余計なお世話?!
ところで、ここに着いた時に、一台の車が停まっていたが、その車にいたおっさんに、「あんたらが来たから、
畑にいたキツネが逃げていってしまった」と文句を言われた。そんなことを言われてもなあ!! しかし、キツネをどうするつもりだったんだ??
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(2007/11/15訪れて)
ギャラリー
現存物見櫓
奥が中御門、その奥には通用御門がある。
中御門(復元)
通用御門(復元)
石垣
周りの農地にも、往時の石垣らしきものが・・・。石塁上は畑になっている。