対宇都宮氏に備えた那須方千本氏の支城
所在地
栃木県芳賀郡市貝町大谷津
【行き方】
市貝町役場から県道163号線を3kmほど北上すると、小貝郵便局がある。この少し先を左折して県道176号線を1.5kmほど北上すると、
右手に「大谷津城址←200m」の案内板が立っている。駐車場はないので、案内板の南へ200mほどのところ・176号線沿いに神社があり、
そこの空地を拝借した。
形状
平山城
現状・遺構等
現状:山林
遺構等:曲輪、空堀、入口案内板
満足度(10点満点)
3点
訪城日
2009/02/19
歴史等
大谷津城は、永正年間(1504~21)に大谷津藤永によって築かれたといわれるが、系譜に藤永の名が見当たらず「大谷津城主御系譜
(平野文書)」には、初代は政永となっており、永正13年(1516)に政永屋形(館)を築くとある。
同系譜によると2代持茂は居城すること3年、3代茂永は伊勢守を名乗り、宇都宮勢を防ぐため出城を築いたとある。
いずれにせよ、大谷津城は千本城の支城として宇都宮氏に対する重要な役割を、
近くの杉山城、
続谷(つづきや)
城、田野辺城などとともに担い、天正13年(1585)千本城の落城に伴い廃城となった。
『とちぎの古城を歩く・塙静夫著(下野新聞社刊)より』
現況・登城記・感想等
案内板の所から100mほど入って行くと、いきなり正面に見事な空堀(大手道)が見え、この後の城めぐりが楽しみになってくる。
ところが、他は広いものの、だらだらした曲輪が段々に配列され、竹薮や杉林等々になっているだけで、さして見るべきほどのものはない。
結局、この城址の見所は、この空堀だけだと言っても良い。否、これだけでも充分見物する価値があるとも言えよう。要するに一発芸だね。
(2009/02/19登城して)
ギャラリー
入口案内板
正面の森が城址であるが、駐車出来るような場所はない。
空堀(大手道)
案内板のところから100mほど入って来ると、この見事な空堀(切通し)が現れる。
この堀底道が大手道である。薬研堀形状となっており、両側の城塁から攻撃できるような構造である。この城址で最大の見所で、唯一の見所だ。
三郭
大手道(堀底道)を登り切ると三郭へ出る。削平が非常に甘いが・・・?
二郭
㊧二郭は杉林になっている。㊨西端に土塁が確認されるが、これは往時のものというよりも、
杉の枝打ちしたものを隅の方に集めたものが毎年積み重ねられて土塁状になったものではないだろうか?
二郭西下の腰曲輪
二郭の西下には腰曲輪がある。この腰曲輪は結構広い。また、この下にも塁段に腰曲輪が設けられている。
本郭
二郭の奥の本郭は、ほとんど荒地で藪だらけ。ここを入って行くのは止めた。