常陸 島崎城(潮来市)

Ⅰ曲輪と水の手曲輪間の空堀

常陸大掾氏族行方氏400年の居城、佐竹義宣により落城

所在地

茨城県潮来市島須
【行き方】
非常にややこしく、また説明も難しく、私も散々迷った。牛堀中学校の南東800mほどの所に小さな集落があるので、そこで尋ねるのが一番 (申し訳ない)。その集落の裏の山が城址である。尚、駐車場所はない。私は、当日が日曜日で休みのようだったので、 ショベルカーが停まっていた空地(採砂場?)に停めさせてもらった。
牛堀中学校:潮来市堀之内1009、電話:0299-64-2231

形状

平山城

現状・遺構等

現状:山林
遺構等:曲輪、土塁、空堀、堀切、石碑、説明板

満足度

★★★☆☆

訪城日

2009/01/18

歴史等

島崎(嶋崎)城は、鎌倉時代初期に、常陸平氏の流れをくむ常陸大掾氏の一族の行方高幹がはじめて築城して、島崎(嶋崎) 氏を称したという。
島崎氏は、初期の頃は小さな勢力であったが、13代長国の頃から強大になり、天正12年(1584)の氏幹の時には、 勢力範囲は現在の潮来市全域と麻生町(行方市)の一部にまで及んだ。
その後、17代城主義幹(安定)の時の天正19年(1591)に謀殺され、島崎氏は17代400年にして滅亡し、城も廃城となった。
『「日本廃城総覧(新人物往来社刊)」、「現地説明板」参照』

現況・登城記・感想等

島崎城は、舌状台地の先端に立地した典型的な中世城郭であり、Ⅰ曲輪をはじめ多くの曲輪や、曲輪をめぐる堀切や空堀、 そして土塁等々実に遺構が良好に残る城址である。
ただ、Ⅰ曲輪の御札神社の建つ辺りと一部の道以外は、ほとんど整備がされていないようで、冬にも関わらず背丈ほどの強烈な藪・藪・藪で、 情けないことに、とても入っていく勇気が出ない場所が多かった。中でも、東Ⅱ曲輪の外周二重空堀等を見れなかったのは残念だった。
それでも、Ⅰ曲輪への虎口やⅠ曲輪と水の手曲輪間の空堀、また、馬出曲輪と東Ⅱ曲輪間の堀切等々、見応え充分だった。
もうほんの少しでも藪を取り払ってくれたら、ほぼ完存する中世城郭遺構が見られる見所満載の城址のはずなのにと思うと実に残念だった。
いつか、勇気を出して、再チャレンジしたいとは思っているが・・・?
(2009/01/18登城して)

ギャラリー

城址碑
城址山麓の登城口(集落内)に立つ。中央の石碑が説明付きの城址碑。右は城址本丸跡に建つ 「茨城県指定文化財・御札神社の古面五面」の碑で、左はその説明板である。尚、この右の方に城址説明板も立っている。車も、この右の空地 (採砂場?)を拝借した。

西Ⅱ曲輪高台
城址碑のところから歩いていくと、すぐに目の前に西Ⅱ曲輪の高台が現れる。急傾斜の上、 高さも10m以上あり威圧感がある。崩落防止のために防止工事が行われているので、多少改変されているかも?ここを、 右へ行くとⅠ曲輪跡の御札神社への石段へ出る。また、左へ行くと東Ⅱ曲輪・水の手曲輪方面へ出るが、こちらが大手道のようだ。

Ⅰ曲輪へ
私は取り敢えず右へ進みⅠ曲輪へ向かった。左手の坂道を少し登ると、 左手に御札神社の参道の急な石段が現れる。多分、往時はこの石段はなかっただろうな。
 

Ⅰ曲輪(御札神社)
石段を登りきった所がⅠ曲輪で、御札神社が鎮座している。Ⅰ曲輪は、この辺りだけは整備されているが、他 (手前右辺り)は背丈以上もある藪が密集していてとても入って行けない。

Ⅰ曲輪・神社裏の土塁
神社の裏は土塁で囲まれていたが、かなり幅が広いところもあり、また高台の突端部という場所から考えると、 往時は櫓台だったのではないだろうか?神社建立時に削られたのでは?
 

本丸虎口
左側に強烈な藪を見ながら北の方へ進んで行くと、本丸虎口でと出る。虎口は外枡形のようになっているが、 虎口を出て右(東)側は竪堀になっている。正面土塁上が馬出曲輪であるが、ここもまた強烈な藪で入って行くのは諦めた。

本丸虎口を外側から
虎口を出ると左下(写真右下)に大規模な空堀が見える。写真左手前の土塁上は馬出曲輪。

Ⅰ曲輪と水の手曲輪間の空堀
空堀下へ下りて行った。幅は上部で10m近く、両側共に高さ8mほどもある大規模な空堀で、 一部は岩盤を削られた見事なものだ。

東Ⅱ曲輪への虎口
右側の馬出曲輪側には空堀状の地形が確認でき、馬出曲輪と東Ⅱ曲輪の間に虎口がある。
 

馬出曲輪と東Ⅱ曲輪間の堀切
虎口を登って行くと、正面藪の中に堀切が確認された。それほど深くはないが、馬出曲輪(右) 側は深さ3mほどあり、そう簡単には登れない。

東Ⅱ曲輪
㊧虎口を登と、藪の中を左へ進む道がある。左(南)側は土塁が築かれている。㊨少し入って行くと、 30m四方ほど藪のない場所がある。ちょっとした果樹園になっていたようだが、今は放りっぱなしになっているようだった。この奥に、 東Ⅱ曲輪の外周二重空堀があるようだが、強烈な藪でとても入って行く勇気はなかった。
 

堀底道
一旦、虎口を出て元の道へ戻った。この道は堀底道になっており、左(南)へ曲がると大手口へと出る。また、 正面奥も堀切になっているが、ここも入って行くのを諦めてしまった。

大手道虎口
上写真の道を左へ曲がり振り返って見ると、正面の東Ⅱ曲輪に切岸が見事だ。 突き当たりを右へ曲がるとⅠ曲輪へと向かう。ここが、大手虎口になるのであろうか?

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