南小屋から断崖絶壁上の出丸を望む
諏訪大祝家「神氏」一族・知久氏の本拠の山城、信玄により落城
読み方
かんのみねじょう
所在地
長野県飯田市上久堅下平
【アクセス】
上久堅郵便局から県道83号を200m程南下して右折します(案内有)。道なりに1.2km程山を上がって行くと、道路終点が「久堅神社」で駐車スペースがあります。但し、最後の分岐点から久堅神社への100~150mほどの登り道は急坂でかなり狭い上、対向車が来た場合にすれ違える場所は僅かです(/。ヽ)。
上久堅郵便局:飯田市上久堅4079−1、電話0265-29-7042
所要時間
今回の見学時間は約20分でした。
形状
山城
現状・遺構等
【現状】 山林
【遺構等】 曲輪、土塁、堀切、土橋、井戸、遺構案内板、説明板
満足度
★★☆☆☆
訪城日
2013/11/17
歴史等
鎌倉時代の正嘉年間(1257~59)に諏訪大祝(おおほり)家「神(みわ)氏」一族の知久氏が上伊那箕輪の上ノ平城から地頭として知久平に移り、知久平城を築いて居城としていたが、室町時代中期に神之峰城を築いて移り、知久平城を出城とした。
知久氏の所領は、下伊那郡の竜東一円、更に竜西の一部に及んでいたが、その本拠は神之峰城であった。
しかし、天文23年(1554)武田信玄の伊那地方進攻の際、落城し、城主頼元など一族8人は甲府に送られ処刑された。
『「現地説明板」、「知久平城跡説明板」、「信州の城と古戦場・南原公平著(しなのき書房刊)」他参照』
現況・登城記・感想等
神之峰城跡は、それなりに遺構が残っているようだが、何しろ、山頂部への最後の150mほどの坂道が、車1台がやっと通れるほどの狭い道な上、対向車とのすれ違い場所もほとんど無かったので、それが心配でおちおち見学していられませんでした(/。ヽ)。長年乗っていたセダンからボックス車にしてすっかりバックが苦手になりました(/。ヽ)。
そういう訳で、見学もそこそこに、15分ほどで下りて来てしまいました。お蔭で、多分、当城の最大の見どころとも思える、本丸と二の丸間の堀切と土橋も見逃してしまいました(;>_<;)。
おまけに、本丸をはじめ、南小屋や出丸等の曲輪跡にはNHKや民放のテレビ塔が建ち、興醒めでした。
まあ、北の方へ向かって突き出た断崖絶壁上の出丸と出丸先端部から見下ろす景色だけが印象に残っています(苦笑)。
ところで、知久平城跡の説明板には、「こんな不便な高い山(標高770m)の上に本拠を置き、広い知久平城を出城とした」とありますが、どうも疑問です。「信州の城と古戦場・南原公平著(しなのき書房刊)」にも、知久平城に館があったとなっています。やはり、私も、平時の城(本城)は知久平城であったと考えるのが自然なように思えるのですが・・・?
(2013/11/17登城して)
ギャラリー
神之峰城縄張り略図 ~現地説明板より~
大手筋
最後150mの坂道を登って行くと、大手筋(正門)の案内板が立っています。
堀切
大手筋(正門)の脇には堀切があります。
出丸跡に鎮座する久堅神社
車で登り切ると、本丸と出丸に鎮座する久堅神社の間に出ます。神社下に縄張図付きの説明板が立っています。この辺りに駐車できます。
本丸
神社の対面が本丸で、本丸跡にはNHKのテレビ塔が建っています。ちょっと興醒めです。
南小屋
駐車場所から先へ歩いて行くと、南小屋へ出ます。ここには「矢立岩(写真中央やや左)」というのがどっしりと・・・。附近には矢竹が繁っています。
南小屋から出丸を
南小屋の北側にの断崖絶壁の上には、出丸の先端部があります。写真で見るより強烈な崖です。
出丸からの眺望
出丸先端部から眺める景色は素晴らしく、眼下には飯田市街と天竜川、その向こうには中央アルプスの山並みが見えます。