大出城主郭(城山)全景
福与城主藤沢氏一族の居城か?
読み方
おいでじょう
別名
里小屋城
所在地
長野県箕輪町中箕輪大出
【アクセス】
「伊北インター」を下り、「伊北」交差点を左へ国道153号線を800mほど南下すると二股に分かれる「沢上」交差点へ出ます。そこを右手の旧国153号線へ進み1kmほど南下すると左手(東側)に大永寺があります。さらに300mほど南下すると左手(東側)にもっこりした小さな山があります。それが大出城跡で、その下に標柱が立ち、その傍に駐車スペースがあります。
大永寺:箕輪町中箕輪2958、電話0265-79-2838
所要時間
今回の見学時間は6~7分
形状
平山城
現状・遺構等
【現状】 小公園
【遺構等】 曲輪、標柱、説明板
満足度
★☆☆☆☆
訪城日
2014/11/08
歴史等
大出城については資料が少ないため、築城年代や築城者等詳細については定かではない。
「諏訪御符礼之古書」に室町時代後期(15世紀後半)に大出の地に藤沢出羽守有兼及び有世という人物が記され、「二木家記」等の諸資料に天文年間(16世紀中頃)の武田信玄の侵攻の際にこれと戦った福与城の藤沢頼親配下の士に「大出」の名がある。さらに「伊那温知集」には、天文の頃に福与城主藤沢氏一門の藤沢織部という人物が居城していたと記されている。
こうしたことから、室町時代後半~戦国時代には箕輪郷の藤沢氏に関係する人物が居城していたと思われる。
『現地説明板より要約』
現況・登城記・感想等
大出城は、天竜川右岸段丘先端部に築かれた平山城で、東側と南側は断崖に面しています。
往時は、主郭(城山)の北西に三重堀とそれに区画された曲輪があったそうですが、現在は主郭跡(城山)だけが残っているだけで、主郭南東下の腰曲輪くらいしか遺構らしきものは見当たりません。
尚、城山の北側の石置き場になっている周辺も曲輪跡と思われます。
(2014/11/08訪れて)
ギャラリー
主郭への階段と説明板
大出城は、現在、主郭(城山)が残っているだけです。主郭の下には説明板が立っています。
主郭
主郭は、あまり広くなく、土塁などもなく、城に関するものといえば、標柱(写真右端)が立っているだけです。
主郭から天竜川を見下ろす
大出城の東側には天竜川が流れていますが、木々が邪魔して景色が良いとは言えません。主郭東側下は写真のように急崖になっています。
腰曲輪
主郭の南東下には腰曲輪があります。これが唯一の遺構らしきものです。
石置き場
主郭の北側下は石置場になっていますが、ここも曲輪跡でしょうネ。尚、説明板には「主郭(城山)の北西に三重堀とそれに区画された曲輪があったと伝えられ、一部にその痕跡が残っています」とありましたが分かりませんでした。