信濃 上ノ平城(箕輪町)

上ノ平城の三ノ郭と四ノ郭を南北に区画する長~い空堀

平安時代末に源為公が築城し、鎌倉時代中期には知久氏が拠った城

読み方

うえのたいらじょう
(読み方はよく分からないのですが、ウィキペディアに「うえのたいらじょう」とあります。但し、別名が「神之平城」というので「かみのたいらじょう」かもとも思っていますが?)

別名

神之平城

所在地

長野県箕輪町東箕輪
【アクセス】
箕輪東小学校の東南東約350mほどの高台が城跡ですが、分かり辛くて説明できません。周辺は「歴史散策コース」の案内板があり、上ノ平城もその一つで地元の方もご存じと思われるので、近くへ着いたら尋ねて下さい。スミマセン( ̄ー ̄;。
尚、三の堀前に駐車場があります。
箕輪東小学校:箕輪町東箕輪3187-1、0265-79-2247

所要時間

今回の見学時間は35分ほどでした。

形状

平山城

現状・遺構等

【現状】 畑、果樹園など(県指定史跡)
【遺構等】 曲輪、空堀(横堀、堀切)、説明板

満足度

★★★☆☆

訪城日

2014/11/08

歴史等

上ノ平城は、平安時代末に源為公によって築城され、鎌倉時代中期には諏訪氏と同族の知久氏の拠るところとなり、知久氏が下伊那に移ってからは使われることがなかったとされてきた。
しかし、平成10年~12年に実施した主郭等の発掘調査で、戦国時代(15世紀中頃~16世紀中頃)の遺構や遺物が確認され、戦国時代にも機能していたことが明らかになった。
『現地説明板より』

現況・登城記・感想等

上ノ平城は、西に延びる丘陵突端部に築かれた平山城で、その規模は東西約450m、南北約200mを測ります。
南北に延びる5条の空堀によって西から「二ノ郭」、「一ノ郭(主郭)」、「三ノ郭」、「四ノ郭」に区画されています。さらに、その内「三ノ郭」と「四ノ郭」は東西に延びる約180mの空堀によって、それぞれ南北に分かれています。
城の歴史については、不祥な部分が多いようですが、曲輪や空堀などの遺構が良好に残り見応えがあります。
中でも、二ノ郭西側を断ち切る堀切(一の堀)や主郭と三ノ郭を断ち切る堀切(北半分)、さらには三ノ郭と四ノ郭それぞれを南北に区画する長~く延びる空堀は見応え満点です。
城跡は、三ノ郭や四ノ郭などは畑や果樹園になっていますが、その他は県指定史跡として綺麗に整備され気持ちよく廻ることができます。
また、城跡からは上伊那地方の街並みや田園が遥か彼方まで見渡せ、ここに城を築いたのもうなずけます。勿論、背後に聳える中央アルプスの山並みとのコラボレーションも素晴らしいです。
(2014/11/08登城して)

ギャラリー

上ノ平城縄張図(現地説明板より)
上ノ平城は、西に延びる丘陵突端部に築かれた平山城で、その規模は東西約450m、南北約200mを測ります。南北に延びる5条の空堀(一の堀~五の堀)によって西から「二ノ郭」、「一ノ郭(主郭)」、「三ノ郭」、「四ノ郭」に区画されています。そのうち、「三ノ郭」と「四ノ郭」は、東西に延びる約180mの空堀によって、それぞれ南北に分かれています。
IMG_3801

一の堀
上ノ平城の西端は一の堀によって断ち切られています。一の堀によって分断された西側(写真左側)は櫓台のように地形ですので、当時は、ここに見張り台があったのではないでしょうか。
一の堀

二ノ郭
当写真は主郭(写真右側)から撮ったものです。二ノ郭は、主郭より一段低くなっています。一部(写真左奥)は畑になっていますが、綺麗に整備されています。
二ノ郭

二の堀
主郭(写真右側)と二ノ郭の間は、二の堀で断ち切られていたようです。ほとのど埋められているようですが、跡はそれとなく分かります。
二の堀

二の堀の北端部
二の堀の北端部は、まるで虎口のようになっています。二の堀の一部だけが残っているのでしょうか、或いは虎口跡でしょうか?
二の堀虎口

三の堀(南部分)
三の堀は、主郭(写真左側)と三ノ郭を分断する堀切ですが、ほとんど埋められてしまっています。ここには説明板と城址碑が立っており、その手前に駐車場があります。
三の堀

主郭
主郭跡は、気持ち良いくらい綺麗に整備され、北端部はラベンダー畑になっています。
主郭

主郭からの眺望
城跡からは上伊那地方の街並みや田園が遥か彼方まで見渡せ、ここに城を築いたのもうなずけます。勿論、背後に聳える中央アルプスの山並みとのコラボレーションも素晴らしいです。当写真は主郭跡南端から南西方向を撮ったものです。
主郭からの眺望

主郭から東(三ノ郭)方面を
写真は、主郭からラベンダー畑越しに東(三ノ郭)方面を撮ったものです。写真左側中央に左右に延びている空堀跡は主郭と三ノ郭を断ち切る三の堀の北部分で、右側に奥の方へ延びている空堀は三ノ郭と四ノ郭をそれぞれ南北に分断する長~い空堀です。
主郭から東方面

三の堀北部分
三の堀は、南部分はほとんど埋められてしまっていますが、北部分は良好に残っています。上部幅は6mほどあり、深い所では堀底から上まで6mほどあるでしょう。写真左側が主郭で、右側が三ノ郭です。
尚、堀は写真手前から右へと、東西へ延びる堀(三ノ郭と四ノ郭をそれぞれ分断する堀)へ繋がっています。

三の堀北部分

三ノ郭と四ノ郭をそれぞれ南北に分断する長~い空堀①
三ノ郭と四ノ郭をそれぞれ南北に分断するこの空堀は、上部幅5~6m、深さ2.5~3mですが、東の方へと約180mも延びています。
南北に延びる空堀

三ノ郭と四ノ郭を南北に分断する長~い空堀②
堀底をどんどん歩いて行きましたが、なかなか最後が見えて来ません。結局、100mほど進んだところで引き返してきました(/。ヽ)。堀の両側は四ノ郭跡です。
尚、このあと四の堀と五の堀を見に行きましたが、道路などとなり形跡はほとんど残っていませんでした。そして、東端部は寺沢川が流れ、急崖になっていました。
 
南北に延びる空堀2

トップページへ このページの先頭へ

コメント

この記事へのコメント

名前

メールアドレス

URL

コメント