布師田金山城二ノ段下の空堀
細川氏末流石谷氏の城、長宗我部氏に降伏し岡豊城の防御拠点に
読み方
ぬのしだかなやまじょう
所在地
高知県高知市布師田
国分川に架かる県道249号線の橋の西詰を土手に沿って北上すると左側にJA高知市布師田があります。この右(北)脇を入り、細~い道を山へ登って行くと墓地があります。墓地の終点から更に奥に道が続いており、そこが登山道入口です。道が二俣になっていますが、左の道を入って行きます。墓地辺りに1台程駐車可。
JA高知市布師田:高知市布師田1616、電話088-845-4329
所要時間
墓地(登城口)から詰ノ段まで12分ほど、今回の見学時間は25分でした。
形状
山城(標高113.6m)
現状・遺構等
【現状】 山林
【遺構等】 曲輪、土塁、空堀(横堀、竪堀、堀切)、石碑、遺構案内板、説明立札
満足度
★★★☆☆
訪城日
2015/02/18
歴史等
布師田金山城の城主は細川氏の末流と伝えられる石谷民部少輔源重信であった。
当城の南方にある大津城や下田城が、長宗我部氏によって相次いで滅ぼされていくのを間近に見て、城主石谷民部は長宗我部元親に降伏して、執行宗朴(しゅぎょうそうぼく)と名乗り、一宮にある土佐神社の神職になったといわれる。
その後、元親は当城を久武内蔵助に与え、以後、岡豊城を中心に東方の久礼田城と西方の当城などが連携して、岡豊城の防御と周辺進出の拠点となった。
『現地(詰ノ段)説明立札より要約』
現況・登城記・感想等
布師田金山城は、山頂部にいびつな楕円形の狭い詰ノ段を構え、その北方急斜面の約10m下に二ノ段を配置しています。
詰ノ段は、周囲を良好に残る土塁に囲まれています。土塁の高さは1.3~1.6m弱ほどですが、曲輪が狭いだけに、結構高く感じます。
二ノ段は、藪状態ですが、一部土塁が確認できました。
また、二ノ段の西側下には、見応えのある深い二重空堀があります。
さらに、周辺にも竪堀・堀切・曲輪跡が認められそうですが、当城跡に登り始めたのが16:50であり、陽の短いこの季節、あまり時間がなく見て廻ることが出来ませんでした(;>_<;)。
そして、二ノ段から急斜面の約10m下には三ノ段、さらに、その南方下には四ノ段があるそうですが、これまた時間が・・・(/。ヽ)。
(2015/02/18登城して)
ギャラリー
金山城跡への案内板
車でJA高知市布師田の右(北側)脇を入り、細~い道を山へ登って行くと墓地があり、その前に金山城跡への小さな案内板があります。
登城道
山中への道は二股になっていますが、左の道を行きます。
登城道両側の石垣
登城道の両側には、次々に石垣が現れますが、段々畑だったころの名残りのようです。
出丸?
登城口から8~9分ほど登ってくると、左上に出丸のような地形があり、その右には空堀が現れます。
空堀
空堀は、上部幅6~7mほどある大規模なもので、なかなか見応えがあります。
堀切?
空堀の手前には、堀切のような地形があり、その底が道になっています。その道を登って行きます。
またまた空堀が
堀底道を登って行くと、左手に、またまた空堀が現れます。二ノ段西下の空堀です。これまた見応え満点です。二ノ段側の切り立った切岸はとても登れそうにありません。
二ノ段
二ノ段跡は、かなりの藪で、奥の方へ入って行くのは止めましたが、一部、土塁が残っているのが確認できます。
岡豊城が・・・
詰ノ段を目指して、さらに歩いて行くと、左手に「岡豊城遠望・東方正面2.5km」の看板があります。僅かに眺望が開け、岡豊城の山が見えるはずですが、どれが岡豊城跡か分かりません(/。ヽ)。距離的な考えると、手前に見える山の向こうに見える山だと思うのですが、手前の山がそうでしょうか??
詰ノ段下の帯曲輪
そして、右上に切り立った切岸が現れます。詰ノ段の切岸です。詰ノ段下には平坦地がありますが、詰ノ段をめぐっている帯曲輪のようです。
詰ノ段東虎口から詰ノ段を
案内板に従って行くと、詰ノ段東虎口へ出ます。詰ノ段周囲は土塁が取り囲んでいます。
詰ノ段の土塁と石碑
詰ノ段の北側土塁前には石碑がたっています。
詰ノ段南虎口を
詰ノ段は、南側にも虎口があります。
南虎口から詰ノ段を
詰ノ段は、いびつな楕円形をしていますが、狭いので、周囲を取り囲む1.3~1.6mほどの土塁が結構高く感じます。
南虎口からの眺望
詰ノ段の周囲は鬱蒼とした林になっていますが、南虎口方面は開けています。写真手前の平坦地は、詰ノ段周囲をめぐる帯曲輪です。