讃岐 丸亀城(丸亀市)

高石垣の上に建つ現存天守(二の丸搦手の南西から)

生駒親正が高松城の出城として築城、高石垣に覆われた城山の姿は圧巻

別名

蓬菜城、亀山城

所在地

香川県丸亀市一番丁

形状

平山城(標高:66m)

現状・遺構等

現状:亀山公園 【昭和28年国指定史跡】
遺構等:現存天守、大手一の門、大手二の門、大手東西土塀、御殿表門、番所、長屋、本丸・二の丸・三の丸の高石垣、内堀、井戸、石碑、説明板

満足度

★★★★★

訪城日

2004/07/21
2007/05/03
2014/10/16

歴史等

丸亀城は、室町時代初期に管領・細川頼之の重臣の奈良元安が亀山に砦を築いたのが始まりと云われる。
天正15年(1587)、讃岐17万石に封ぜられた生駒親正が、高松城の出城として、慶長2年(1597)から5年を費やして築城した。
しかし、元和元年(1615)の一国一城令によって廃城となった。この時、親正は、万一に備え、土を盛って石垣を隠し、樹木を植えてカムフラージュしたが、寛永17年(1640)の「生駒騒動」により、生駒氏の治世は4代54年間で終わり、出羽矢島1万石に移され、伊予大洲藩主加藤氏の預りとなった。
その後、讃岐は2分されて、東讃岐12万石に松平氏が、西讃岐5万3千石には九州天草の富岡城から山崎家治が入封した。そして寛永18年(1641)、家治は廃城になっていた丸亀城を修復した。その山崎家も、3代17年で後継ぎがなくお家断絶となった。
そのあと、万治元年(1658)、京極高和が入封し、7代220余年で明治を迎えた。
『「日本100の城(日本交通公社刊)」、「パンフレット」他参照』

【石垣にまつわる伝説】
羽坂重三郎は、常に裸になって一生懸命働く事から「裸重三」と呼ばれ、丸亀城の石垣を完成させた功労者である。
殿様は「さすがは重三の築いた石垣だけあって完璧だ。これでは空飛ぶ鳥以外にこの城壁を乗り越えるものはあるまい。」とご満悦であった。
ところが、重三郎は「私に尺余りの鉄棒を下されば、容易に登ることができます。」と言って、鉄棒を使いすいすいと城壁を登ってしまった。
殿様は、重三郎を生かしておいては来敵に通じた場合、恐ろしいことになると考え、城内の井戸の底を重三郎に探らせて、その隙に石を投じて殺してしまった。その伝説の井戸が二の丸井戸である。
(パンフより)

現況・登城記・感想等

丸亀城は、標高66.6mの亀山とその周辺の平地を取り入れて内堀・外堀をめぐらし、亀山を取り巻く幾重にも石垣を築き上げた螺旋式築城法によって構築した平山城です。
丸亀城の魅力は何といっても、亀山を取り巻くように螺旋状に幾重にも高々と築かれた石垣と、その上に聳える天守の光景に尽きるでしょう。さすが、三の丸・二の丸・本丸の総高60mの高石垣は日本一だけのことがあります(*^_^*)。
天守そのものは、現存12天守の中で最も小さいだけあって、ややもすればちょっとした三階建ての蔵といった感じさえしますが、山麓から見上げると、その小さな天守が高石垣の上に聳える光景は本当に見事です。
(2004/07/21、2007/05/03、2014/10/16登城して)

ギャラリー

丸亀城図 ~クリックにて拡大画面に~
00丸亀城縄張図

丸亀城全景(北西から) ~クリックにて拡大画面に~
丸亀城の魅力は何といっても、亀山を取り巻くように螺旋状に幾重にも高々と築かれた石垣と、その上に聳える天守の眺望であろう。三の丸・二の丸・本丸の石垣総高は60mもあり、日本一である。
marugame

丸亀城全景(南西から)
IMG_3539

満々と水を湛えた堀(いざ登城)
01水堀

03水堀

大手一の門(右)・二の門(左) 【昭和32年国指定重要文化財】
城内側(右)の櫓門を一の門、堀端の高麗門を二の門と呼ぶ。寛文10年(1670)京極氏の時に完成した。一の門は楼上に太鼓を置き、城下に刻を知らせたことから太鼓門とも呼ばれている。
もと南方にあった大手枡形を京極氏が入城直後の寛文10年(1670)に、北方のこの地へ移築したものだそうです。 
IMG_3544

03登城

藩主玄関先御門・番所・御駕籠部屋・長屋
玄関先御門は、京極氏の屋敷の表門にあたり、形式は薬医門である。この門に接して番所・御駕籠部屋・長屋がある。
IMG_3582

藩主玄関先御門と背後の山上に天守
IMG_3585

見返り坂
大手門から山上に向かう山道は見返り坂と呼ばれている。
11見返り坂

三の丸北西の高石垣
見返り坂の右手頭上には三の丸の高石垣が美しさと堅固さを誇ってそそり立つ。この三の丸の高石垣は、丸亀城のなかで最も高く、20m以上の城壁が続く。隅角部は算木積みされた美しい曲線美で、扇の勾配と呼ばれている。
13三の丸北側高石垣

三の丸北西の高石垣 ~クリックにて拡大画面に~
15三の丸西側高石垣

三の丸西の石垣と南西部の屏風折れの石垣
DSC08886 DSC08888

三の丸
見返り坂を登り切ると三の丸である。三の丸は、本丸・二の丸をめぐる曲輪で、3箇所に隅櫓があった。
17三の丸

三の丸井戸跡
囲いは東西南北とも約3.5m、井戸の直径は約2.5mあり、山崎時代(1641~1657)の絵図によると深さは31間(約56m)と記されており、石垣と同じ花崗岩を使っている。現在は空井戸となっていて、城外への抜け穴伝説がある。
19三の丸の井戸

三の丸の「巽櫓(月見櫓)」と「飯野山(讃岐富士)」
三の丸東隅のこの「巽櫓」は、土器川の東と城の南方の高松藩領を見張る櫓であったが、月見によい位置にあったことから「月見櫓」とも呼ばれた。 
21月見櫓

三の丸北の隅櫓跡
三の丸の北には出丸のように突き出た櫓台があり、上部分が復元修築されています。
DSC08879

三の丸から二の丸への虎口
23二の丸虎口

二の丸
山上で2番目に高い曲輪で、本丸同様に石垣上に隅櫓や多聞があった。
25二の丸

二の丸井戸
この井戸は、直径が約1.8m、深さは絵図によると65mと記され、日本一深い井戸と言われている。現在も水を湛えている。また、丸亀城の石垣を築いた羽坂重三郎が敵に通じるのを恐れ、この井戸の底に入っている時に、石を落とされて殺されたという伝説が残っている。
27二の丸井戸

二の丸から本丸への入口
31本丸虎口

本丸
本丸は山上にあり、往時は、天守の他に隅櫓・多聞・土塀が石垣上に巡っていた。
DSC05533

現存天守 昭和18年国指定重要文化財
三層三階の現存天守で、高さ約15m、一階北側には石落や狭間がある。唐破風や千鳥破風で意匠を凝らしている。四国内では最も古く万治3年(1660)に完成したもので、全国12の現存天守の中で最も小さい。

33天守

天守内部の梁
34天守の梁

本丸東隅櫓跡
本丸の四方(東西南北)には隅櫓台が残っています。当櫓台は本丸東の隅櫓です。
35本丸隅櫓1

本丸南隅櫓跡
DSC05535

本丸西隅櫓跡
35本丸隅櫓2

本丸北隅櫓
当櫓台は、天守の裏(北東)の櫓台です。この櫓台は、本丸の中で最も高くなっています。
DSC08874

本丸北隅櫓跡から見下ろす
本丸北隅櫓跡から西方面を見下ろしたもので、すぐ下の櫓台は二の丸搦手付近ですが、当城の石垣は、どの角度から眺めても本当にかっこいいですね。
DSC08875

二の丸搦手の南西から見上げる天守 ~クリックにて拡大画面に~
高石垣上の天守

搦手門跡から
この三の丸南側の搦手口は、山崎氏時代の大手になります。
41搦手

お城祭(2度目の登城の時)

DSC08896
トップページへ このページの先頭へ

コメント

この記事へのコメント

名前

メールアドレス

URL

コメント